Meet The Superhumans

北アイルランドの作曲家ハンナ・ピール(Hannah Peel)と、ブリストルを拠点に障がい者と非障害者の音楽家を結びつける先進的な団体であるパラオーケストラ(Paraorchestra)のコラボレーションによるアルバム『The Unfolding』

ハンナ・ピールはポール・ウェラーのライブでストリング・アレンジを担当したり、『ゲーム・オブ・スローンズ』のサントラに関わったりとポピュラー系の仕事も多い作曲家のようです。
本作は、2021年にリリースし、マーキュリー賞にノミネートされ大成功を収めた『Fir Wave』に続くアルバムです。

本作は、基本的にはシンセサイザーや電子楽器を多用し、映画音楽や環境音楽に近いダイナミックな音作りが特徴であり、ジャンル分けするならば「ネオ・クラシック」と言えるかもしれません。

クラシックのシンフォニーやハリウッドのサントラほどゴージャスではなく、電子音楽としてはシンセの音などはわりと古臭いのですが、不思議とありきたりな印象はなく新鮮に聴こえるのは、各ジャンルのブレンド具合いが絶妙なためじゃないかと思いますね。

リリースはピーター・ガブリエルのリアルワールド・レーベルからなのですが、(基本はワールド系レーベルなので)こういうジャンルのアルバムを扱うのは珍しいかも。

パラ・オーケストラ

ハンナ・ピールと共演しているパラオーケストラは、2011年に指揮者のチャールズ・ヘイズルウッドによって結成された、健常者と障がい者、アマチュアとプロが混在するオーケストラです。
各メンバーはさまざまな補助楽器を使って演奏しているそうです(ローランド・カークが使っていたようなものかな?)

2012年9月にロンドンで開催された2012年夏季パラリンピックの閉会式でコールドプレイと共演し、世界的に注目を浴びました。

チャールズ・ヘイズルウッドは末娘のイライザさんが脳性まひだったのですが、娘が「優れた」歌手であるとずっと信じていたそうです。またオーケストラの指揮者としてのキャリアを通じて、障がいを持つ演奏家をほとんど見たことがないことに気づき、そのことがパラオーケストラの設立の動機となったそうです。

パラオーケストラは障がいを持つトップクラスの音楽家が演奏するためのプラットフォームと考えられていて、「高いレベルの作品を創造すること」と「障がい者への支援」という点で考えると、前者に重きを置いているようです。

少なくともこの『The Unfolding』の動画を見る限りでは、演奏者の姿は全く映らずイメージ映像がインサートされており、演奏者がもつ障がいについては、ほぼわからないようになっています。

障がいを持つ人のためのオーケストラでありながら、あえて障がいについて強調しないというスタンスは新鮮ではあります。
障がいをもつ音楽家による演奏でも、障がいの種類や軽重に注目があつまらないことが本来のあるべき姿だとは思うのですよね。

ただ、音楽家が障がいを持つことになにか付加価値を感じてしまうのは良くあって、これは危うい感情だとは思うのですよね。

日本ではかつて(リアルタイムの記憶はないのだけど)佐村河内守という人が、盲目であることを偽って作曲していたことが話題になり、かなりバッシングされたようですね。

実際には彼の曲は、プロの音楽家がゴーストライターとなって書かれていた本格的なものだったそうです。だからこそ多くの人に聴かれたのだと思います。
本人が曲を書いてなかろうが実際には目が見えていようが、その曲の価値じたいは何も変わることないはずです。
それでも多くの反発を受けたのは、リスナーは「盲目であること」になにか意味を見出そうとしていて、それが裏切られたからだと思います。

ですがそこに「意味」なんてものは無く、実体のないリスナーの幻想だったということです。

歴史的にみて、音楽の世界は盲目の人が活躍してきた数少ないカテゴリとも言えます。
スティービー・ワンダーや高橋竹山、最近では辻井伸行さんなど、ハンディキャップを乗り越えてきた例はいくらでもあります。

本来、ハンディキャップを音楽の判断材料にする必要なんてないはずなのに。

(とはいえ、音楽の世界が盲目の人にとってのひとつの理想郷だった、なんていうつもりはありません、、たとえば高橋竹山の境遇が幸せだったかというのは議論のあるところです)

少し前に、アカデミー賞を受賞した『CODA あいのうた』という映画について、ちょっとした批判が巻き起こっていました。

この映画はまだ観ていないのですが、耳の聞こえない両親と兄の日常生活のサポートをしていた健常者である主人公が、高校の合唱クラブに入部し、そこで顧問の先生に歌の才能を見出されていく、というストーリー。

「ろう者はこんなことしない」といった生活描写の不自然さも指摘されていたようですが、多くの批判を集めたのは「ろう者の役はろう者が演じるべき」という製作者側のスタンスについてでした。
(「だったら殺人鬼の役は殺人鬼に演じさせろというのか!」と言った批判)

パラオーケストラの際にも例にあげた、「高いレベルの作品を創造すること」と「障がい者への支援」といったふたつの視点を考えると、『CODA あいのうた』の製作者はあまりにも後者に軸足を置いてしまったということなのでしょうね。

アート作品であれ商業プロダクトであれ、それが「障がい者への支援」をすることは良いことのはずです。
ただ『CODA あいのうた』の例では、そのことを強調するあまりに「障がいを持つわたしたち」と「健常者であるあなたたち」という超えられない壁をまわりに感じさせる結果になったのだと思いますね。

追記

このアルバムが制作されるにあたって、ハンナ・ピールにインスピレーションを与えたとされるのが、英国の作家ロバート・マクファーレンが2020年に発行した『アンダーランド』という作品。
マクファーレン自身が登山や探検を行うネイチャーライターであり、自然や探検を描く筆致に定評がある作家です。

『アンダーランド』は自然の洞窟、鉱山の地下という意外な場所に設けられたダークマター観測所、大都市パリの下で独特の発展をつづける地下都市、核廃棄物の保存所など世界の様々な「地下」を訪れた経験を綴るノンフィクション作品です。

ガーディアン紙「21世紀ベスト・ブック100」にも選ばれてたそうで、『アンダーランド: 記憶、隠喩、禁忌の地下空間』というタイトルで邦訳も出ています。
地下は人々にとって不要なもの、忌むべきものが捨てられた場所ということで、人と「地下」の関わりわいを紐解く内容だとか。

ロバート・マクファーレンの本は読んだことないのですが、「名前を聞いたことあるな」と思ったら、以前カリン・ポルワートが中心となって作られたメディアミックス作品『Spell Songs』の元となった絵本「The Lost Words」と「The Lost Spells」の作者でもあるようです。(こちら

個人的にはこういう「エコ」で「ネイチャー」な本は、自分には理想主義すぎてあまりのめり込めないのですが、(アーティストを含む)多くの人に影響を与えている作家であることは確かなようです。

ハンナ・ピールは北アイルランド出身、カリン・ポルワートはスコットランド出身ということで、自然豊かな国の人にとっては共感を呼ぶ内容なのかもしれません。