初音ミクが変えたのは、世界なのか?

いまさら初音ミクの話題ですか、、、と思われるかもしれませんが、ええ初音ミクの話題です。

『初音ミク 聴いてみた』って感じですかね。
とは言っても、特に日本で「ボカロ曲」として人気の曲を聴いた訳ではありません。

正直なところ、動作サイトなどでも「ボカロ人気曲TOP100」みたいなのをよく見かけて聴いてみたりするのですが、心惹かれる曲に出会った試しはありませんでした。

そこで聴けたのは性急なビート、チープな電子音、スキマを全て埋め尽くそうとするアレンジなど、いわゆる典型的な「アニソン」であって、どれも自分には合わないと感じたし、全ての曲が似たように聴こえたのも確かです。

レナ・レイン

そんな中、最近になって2019年のBandcamp Dailyの記事をたまたま見かけたことがきっかけで、レナ・レイン(Lena Raine)というシアトル在住のプロデューサー・アーティストの『Oneknowing』という作品を聴いたんですよね。(記事はこちら

彼女は(トランスジェンダーであると公言しているとのことで彼女と呼びますが)、2018年ごろに発売された『Celeste』というゲームの音楽で注目を浴び、これはその年のThe Game Awards で「Best Score/Music」を受賞するほど高い評価を得たそうです。

この『Celeste』の音楽は基本的にはソフトシンセを使ったDTM的なスタイルで作られた作品でした。Native Instruments社のインタビュー(こちら)によるとソフトシンセはMassiveを使っているとのこと。

一方で、ソロ作の『Oneknowing』ではセレステや弦楽器などは実際に人の手による演奏を使用し、ヴォーカルに関しては「Vocaloid(=ボカロ)」が使われていました。
ボカロを使ったヴォーカルに関しては、他の楽器から前面に出るのではなく他の楽器とうまく調和して、違和感なく自然な使われ方をしていましたね。

アンビエントミュージックとも言える深い音像とエモーショナルな質感が溶け合った、聴くに値する作品だと思いますね。

正直、「ボカロ」を使った曲でこんなポジティブな印象を持ったのは初めてです。

この『Oneknowing』というアルバムは『Celeste』直後に製作されたのですが、彼女にとってこの時期は、突如として作曲家として注目を浴びるようになったり、(『Celeste』はカナダの会社によるゲームのため)労働ビザが切れたために、アメリカ・シアトルに帰国することになるなど、自分の置かれた環境が劇的に変化していたタイミングだったようです。

そのため、このソロアルバムは「クリエイティブなことに没頭する必要がある」「心を落ち着かせる必要がある」という葛藤を抱えながら製作されており、穏やかな曲調の中に何か心のざわめきのようなものが感じられますね(まあこれもこじつけかもしれませんが)

初音ミクが変えたもの、変えなかったもの

日本でボカロといえば、ほぼ初音ミクと同じ意味ですね。

初音ミクに関しては、ほとんどの人が概要を知っていると思います。Wikiはこちら

簡単に言うと、「初音ミク」は「Vocaloid(=ボカロ)」というヤマハが開発した音声合成技術を使ったソフトウェアと、藤田咲さんという声優の声によるライブラリを組み合わせたパッケージ製品のこと。

初音ミクの登場までは海外のソフトウェア会社がライブラリを作成・発売していたのですが、過渡期の技術ということもあり、あまり話題とならなかったようです。

そんな中、2007年に北海道でサンプリングCD/ソフト音源の輸入代行を行っていたクリプトン・フューチャー・メディアが「初音ミク」を企画し発売したことで、日本のDTMユーザーを中心に爆発的な人気となったようです。

ちなみにDTMをやっている人であれば、もしかするとサンプリングCDやソフト音源に同梱されている登録ハガキを「これ、なんの意味があるんだろう?」とか思いつつクリプトン本社へ送った思い出がある人もいるかも。

初音ミク登場前のボカロはあまり受け入れられなかったのですが、これはいわゆる『不気味の谷』に差しかかってきていて、聴いた人がその声に強い違和感を感じていたからだと思いますね。

こちらが「不気味の谷」の概念図

初音ミクというライブラリは、不気味の谷を超えられないという状況を逆手にとり、あえて機械的なアニメのような声(いわゆるケロケロボイス)を強調して不気味の谷から遠ざけることで、ユーザーの違和感を無くしたとも言えます。
その技術的な不足分をアイデアの力でうまくカバーしたという点で、ヒットするべくしてヒットした製品とも言えます。

実際のところ、「Vocaloid」の技術は初音ミク以降も進歩していますが、リアルに近づくことで逆に不気味の谷に落ち込む結果となり、そこから受ける違和感じたいは軽くなっていないようです。
不気味の谷を越えるには、現状の技術では難しくブレイクスルーが必要ということでしょう。

2013年にはGoogleのディープラーニング技術の提案があり、そのライブラリであるTensorflowなどを用いた音声合成技術が、音楽よりも先にテキスト読み上げといった分野で実用化しつつあるようです。

音楽ソフトでもこのディープラーニングがブレイクスルーとなると思うのですが、音楽ソフトへの展開はまだまだこれからみたいですね。

ブームの終焉

初音ミクが話題になったのは、この2013年には作られたGoogle ChromeのCMくらいがピークだったのでしょうか。

このCMでは初音ミクという存在が、イラスト、ダンス、コスプレなどなど音楽ソフト以外のフィールドへ、メディアミックスという形で拡がっていく様子を表現しています。

ただいま10年近くも前のこのCMを見ると、ここで描かれている姿は、まさに「ブームの後」という感じですね。
過ぎ去ったブームはどうしても陳腐に見えてしまいますね。

まるでお祭りの翌日に、ゴミが散乱した、誰もいないうら寂れた会場の横を通ってしまったような気分になります。

レナ・レインの音楽を聴いて思うのは、ボカロという技術がいろんなジャンルのいろんな曲へと使われる、そんな豊かな世界がもしかすると拡がっていたかもしれない、ということです。

でもそうはならなかった。

起こったことといえば「初音ミク」という存在が、アニソンというジャンルの中の、そのまたさらに狭い「初音ミク」というサブジャンルに収束されていっただけです。

そうした動きが、「ブーム」になる事によって加速したのなら、それは悲しい事ですよ。

「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」という本があるらしいのですが、こちらは未読なんですよね。

個人的には「初音ミクは世界を変えたのか?」という点に関しては、

「初音ミクは確かに世界を変えた。ただし音楽を除いて」

ということだったのかな、という気がしています。