モハメド・レザ・シャジャリアン (1940-2020)

イランの古典声楽の歌手、モハメド・レザ・シャジャリアン(Mohammad Reza Shajarian)が2020年の10月8日に80歳で亡くなったそうです。

10年以上にわたり腎臓がんと闘っていて、今年2020年初頭にも手術をしていたとのことでかなり症状が悪化していたようです。

個人的にもシャジャリアンは本当に大好きなミュージシャンなので、近いうちにブログで彼のアルバムについて書こうかと思っていたんですよね。
今年に、シャジャリアンと同じくイラン古典声楽ヴォーカリストであるマーサ・ヴァーダット(Mahsa Vahdat)のアルバムについてブログを書いていたのですが、その時も参考に彼のアルバムを聴きかえしていました。
それもつい最近のことなので、なおさら悲しくなってしまいますね。

シャジャリアンが亡くなったテヘランの病院のでは、通りに何千人ものファンが詰めかけ、COVIDのためにマスクをつけたあらゆる年齢層の人々が彼のために泣き、シャジャリアン氏の最も有名な歌を歌っていたそうです。

こちらはその時の病院の様子

彼の息子であり、トンバク奏者・ヴォーカリストとして音楽的にも父親を支えてきたホマユーンが、メガホンを使って集まった聴衆に語りかけていますね。

 

イラン古典声楽 最高の歌手

シャジャリアンは1940年9月23日、北東部のマシュハド市という保守的で宗教色の強い都市で生まれました。
子供の頃に父親からコーランの暗唱のトレーニングを受け音楽に興味を持つようになったそう。その後に若い頃にテヘランに移り住み、Framarza Payvar、Nurali Khan Borumand、Abdollah Davamiなどのペルシャ古典音楽の巨匠たちに師事しながら音楽を学び始めました。

その頃からラジオで歌うようになり、1979年のイスラム革命後に伝統的なペルシャ楽器とクラシック音楽以外の音楽は禁止された時代にあって、数十年間にわたって国営テレビやラジオの大黒柱として活躍しました。
彼はクラシック音楽を新世代に普及させたという意味でも大きな存在ですね。
彼の「ラベナ」と呼ばれるコーランの一節のセレナーデは、ラマダンの終わる日の夕暮れ時に何百万人ものイラン人が揃って聴いたそうで、のちに「ラバーナ」は国の無形文化遺産に登録されたそうです。

その芸術性の高さと世界的な名声を獲得したといった点などから、ペルシャ音楽の世界を代表する最も偉大な人物と言えるんじゃないでしょうか。
ビバップにおけるチャーリー・パーカー、ボサノヴァにおけるトム・ジョビン、レゲエにおけるボブ・マーリー、イノベイターであり最も偉大な存在。

そういった歴史的な立ち位置は別にしても、彼の録音はいま聴いても色あせず、素晴らしいものだと思いますね。
古い録音は録音のひどいものなどもあり、出来不出来がありますけど、マスターズ・オブ・ペルシャというグループ名義でグラミー賞にノミネートされた。2002年の「Without You」と2005年の「Faryad」などは聴きごたえ十分です(サブスクにはないですけど)

政治に翻弄される音楽家

シャジャリアンたちの世代はイラン革命の混乱の真っ只中にあり、彼の音楽家としてのキャリアも否応なく政治に左右されてきました。
イラン革命後は古典といえど音楽自体が歓迎されなくなり、シャジャリアンも3年間のあいだ表舞台から姿を消すことを選んだそうです。

1985年にシャジャリアンが復帰した後に彼のアルバム「Bidaad」は(政治とは距離を置きたいという本人の意思に反して)波紋を呼ぶことになります。
「Bidaad」はペルシャ語では「不正」という意味でもあり、「声のない」という意味もあるそうです。

「Bidaad」や、シャジャリアンの歌う最も有名な曲「Morgh-e Sahar」(「夜明けの鳥」)のような彼の人気曲は抽象的でベールに包まれた歌詞を持っていて、彼のファンにはそれが体制批判を含んでいることは容易に理解できるものだったようです。

ただ当時のイランにおいては、このような抽象的な歌詞の中のメタファーすらも批判の対象となり、シャジャリアン自身も「私はイラン革命政権を支持している」という声明を出すという踏み絵を踏まされたこともあったようです。
日本で有名なペルシャ音楽の女性歌手パリーサーなどは結局イラン国内では演奏活動ができず、最終的には国外(ドイツ)へ移住していっています。
シャジャリアンはそういう意味ではイラン国内では優遇された歌手だったのかもしれませんが、それでも体制側とは微妙な緊張関係にあったようです。

ただそういった関係も、2009年をきっかけに一変することになります。

2009年に行われたマフムード・アフマディネジャド大統領の不正な再選に異議を唱えた蜂起である「緑の革命」にシャジャリアンは支持を表明し、より直接的な体制批判を行うようになったのです。
大統領がデモ隊を「塵とゴミ」と呼んだことについて、シャジャリアンは海外メディアに「自分は”塵とゴミの声”だと考えている。これからも常に塵とゴミの声であり続けるだろう」と語り、国営放送に彼の歌を放送しないよう求めたのです。

当然の流れとして体制側と保守的な国民層からは、「裏切り者」「売国奴」「西側勢力の手先」であると非難され、テレビなどの公の場からは姿を消していくのです。

今回、イラン国営テレビは彼の死をニュースとして報じたのですが、彼の音楽と映像をが放送されたのはじつに11年ぶりのことだったそうです。

イランのような国で体制を批判する発言をすることは非常にリスキーなことです。彼自身だけでなく彼の多くの親戚をも巻き込む話ですし。
アメリカでトランプ大統領を批判したり、日本政府を批判するミュージシャン は多いですが、リスクのレベルが違います。
別にアメリカのミュージシャンがトランプ批判をしてもほぼノーリスクでしょうし。

ワールド系の音楽を聴いていると、独裁国家だったり非常に宗教色が強かったりと、自由な発言できない国も多いです。
そんな中で音楽で民衆をひとつにする姿は見ているこちらも勇気づけられます。シャジャリアンもそういったミュージシャンのひとりでした。

「独裁者に死を」

実際、シャジャリアンは反体制運動のある意味シンボリックな存在となっていたようで、今回の彼の死も、いまの圧政を改めて思い起こさせる出来事としてとらえられているようです。

イランでは、ここ最近の経済破綻、パンデミック対応の不手際、反体制運動に参加したため拷問による虚偽の自白をさせられたとも言われているレスラーチャンピオンのナビド・アフカリ氏の処刑などに対する不満が高まっており、テヘランでのシャジャリアン追悼集会はすぐに反政府デモに変わりました。
さっそく治安部隊と群衆との衝突なども起こっているようです。

群衆はシャジャリアンの写真を手に、こう声をあげていたそうです。

「独裁者(ハメネイ)はいずれ死ぬ。でもシャジャリアンは決して死なない」

日本にいるとイラン国内の人びとの暮らしを想像することはなかなか難しいですが、この言葉はまさに胸に響くことばですね。

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