Ranjani & Gayatri 「素晴らしいことはいつだってシンプル」

新譜リリースで話題になった訳でもないミュージシャンについてブログで書くのは久しぶりかもしれない。

Ranjani-Gayatri は南インド音楽(カルナティック音楽)のヴォーカリストで、姉妹で一緒にステージで歌うスタイルを取っています(ヴァイオリンのGanesh and Kumareshなど、南インド音楽は同じ楽器のデュオというスタイルはけっこう多いような気がします)
2人が、南インド音楽の世界でどれほど人気のあるふたりなのかはあまりピンとこないのですけど、イギリスのDarbar Festivalに出演し、アルバムも何十枚とリリースしているところからするとおそらくトップクラスの人気なのでしょうね、きっと。

彼女たちの魅力は、完璧なピッチコントロール、パワフルな声、古典の枠を超えた非の打ちどころのない豊かな表現力。
彼女たちは母親が古典音楽のヴォーカリストという音楽家庭に育ち、小さいことから本格的なトレーニングを積んできたようです(Ranjaniは2歳半で100種類のラーガを聴き分けることができたという逸話も。ホントに?)

その後、Sri T.S. KrishnaswamiやSri P.S.Narayanaswamyといった人たちの元で本格的に古典音楽を学んでいったとのこと。もともと彼女たちは声楽と加えてヴァイオリン(南インド音楽ではよく使われる楽器)も習っていたようで、プロとしてデビューしたのもヴァイオリニストとしてのよう。
基本的にインド音楽の楽器演奏は声楽がベースなのですが、特にヴァイオリンという楽器を学ぶ上での表現が声楽に活かされていると彼女たちもインタビューで答えていました。

南インド音楽で知識(グニャナム)は過大評価されている

彼女たちはすでに30年近くのキャリアがあり、世界各国でコンサートに出演しているのでインタビュー記事などもたくさんあるのですけど、その中でおもしろいなと思ったのは

カーナティック音楽では、声の質があまり重要ではないということを耳にすることがありますが、とても悲しいことです。その代わりに、人々はグニャナム(知識)に注目する傾向があります。

といったコメント。

声そのものの美しさよりも、多くのレバートリーをマスターして、その中からどういう音の選び方を選択するかなどの声楽に対する知識量が歌の優劣を決める風潮がある、と。

彼女たちはそれに対して

知識(グニャナム)は過大評価されています。結局のところ、自分の声の表現に対する技術的な熟練度こそが、音楽をコミ ュニケーティブなものにすることができると私たちは確信しています

とのこと。

また、ラーガなど音楽の知識が演奏の優劣を決める傾向があるため、カルナティック音楽はとても複雑で難解になる傾向があるとも。
音楽に対する深い知識も音楽表現も同じように重要なのだけど、南インド音楽ではトレーニングで得られる技量が過小評価されているということなんでしょうかね。

記事詳細はこちら ←サイトは削除されてしまったようです。

そんな中で彼女たちは「素晴らしいものは常にシンプルだ」といい「音楽の技術的な熟練が音楽をコミュニケーティブにする」だと感じているようです。
この辺が古典音楽の中にあってもいま風の感覚なのかなと思いますね。どちらが良いとか悪いとかではないのでしょうけど。

わたしが南インド声楽を聴いた印象では、とても美声とは言えないような声で歌う歌手がけっこういるのですが(Aruna Sairamとか、、)彼女たちはそもそもヴォーカルの美しさみたいなことを目指して歌っていた訳じゃないのかもしれませんね。

ちなみに彼女たちのアルバムはラッキーなことに、ほとんどのアルバムがSpotifyなどサブスクサービスで聴くことができます。(レジェンドクラスのミュージシャンを除いて)インド古典音楽では珍しいかも。

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