なぜ人はケニー・Gをそこまで嫌悪するのか?

Listening to Kenny G(ケニー・Gを聴く)

アメリカのケーブルテレビ局HBOが制作した、サックス奏者ケニー・Gを扱ったペニー・レイン監督のドキュメンタリー映画『Listening to Kenny G』が公開され、話題になっているようですね。(日本国内では観ることができないみたいですが)

このドキュメンタリーは、ポップミュージシャンの横顔に迫ったファンサービス用のありふれた他の作品と違い、ケニー・Gというフィルターを通した音楽批評とも言える作品だということです。

テーマは
「なぜ人はケニー・Gをそこまで嫌悪するのか?」
ですよ。
本人が出てるのにすごくないですか?

ケニー・Gは7500万枚以上という膨大な数のアルバムを売る一方で、多くの音楽ファンに嫌悪感を抱かせ、時にジョークのネタにされバカにされ、時に激しくバッシングされてきたのですよね。このドキュメンタリーを観る人もおそらくほとんどはケニー・Gの熱心なファンではないでしょう。

※たまたまネットで見つけたケニー・Gに関するジョークはこちら(わかります?)
「ケニー・Gとエレベーターで一緒になったんだけど、彼、こんなこと言ってたよ」
「This music is smokin !」

このドキュメンタリーの中で、ケニー・Gの熱烈なファン、彼を嫌う人、音楽評論家、そしてケニー・G本人といった多くの人が彼と彼の音楽について、それぞれの想いを語っています。

多くの音楽ファンにとって彼は「メロウなポップスを演奏するサックス奏者」だと思うのですが、ジャズファンにとって彼の存在はまた違った意味を持ちます。

つまり、ケニー・Gの音楽は「ジャズを嫌いな人が好きなジャズ」なのですよね。

ジャズファン(もしくは評論家)は彼の音楽を「あれはジャズじゃない」と言うのですが、一方でケニー・Gのファンは彼の音楽に「ジャズらしさ」を感じているという矛盾。

このドキュメンタリーで語られているのは、ケニー・Gを嫌う人はいったい彼のどこが嫌いなのか、といった単純な話ではなく「ジャズとは何なのか?」「リスナーにとってなにが良い音楽なのか?」といった本質的な問いかけなのです。

そういう意味で、ケニー・Gの存在はひとつの「アイコン」なのですよね。

このドキュメンタリーを観ると、ケニー・Gを嫌う人は、逆にケニー・G本人から「あなたが私に投げかけているその批判はお門違いじゃないんですか?」と問いかけられることになるんです。

”こちらがケニー・Gをのぞく時、ケニー・Gもまたこちらをのぞいているのです”

The People love to hate Kenny(ケニー・Gを嫌悪する人々)

という訳で、ケニー・Gのドキュメンタリー、面白そうですね、日本で観れないのはホント残念です。

世の中の人が「くだらない」と感じたり単に人気のないミュージシャンはたくさんいますけど、世間から小バカにされてきたミュージシャンというのはそこまで多くないような気はします。
例えば、、マイケル・ボルトンやセリーヌ・ディオン、もう少し最近ではダニエル・パウターとかコールドプレイとか、、

別に彼ら/彼女らは、メタルのような耳障りな演奏をしている訳でもなければ、顔をしかめるような不快な歌詞を歌っている訳でもないのですけどね。
そもそも自分が「くだらない」と思った音楽は無視すれば良いですし、たいていの場合はそのようにして済ましてしていると思うのですが、ケニー・Gたちに対してそれができないというのは良く考えると不思議な話です。

これはやっぱりアレですかね?

ケニー・Gみたいなミュージシャンを好んで聴くリスナーには特定の属性があって、その属性に対する嫌悪感がそのままミュージシャンに向けられている、ということ?
つまり、ケニー・Gなどは若者からすると自分たちより上の世代(親世代)に好んで聴かれている音楽と受け止められていて、若者が親世代へ感じる嫌悪感がそのままケニー・Gへ投影されている、みたいな。

その属性というのが、性別であったり(「女が聴く音楽」)、性的嗜好だったり(「ゲイが聴く音楽」)、さまざまな形となって現われているのかも。

そう考えると、ケニー・Gたちに向けられる嫌悪感は不当なものと言えるし、そんな理由でケニー・Gたちを小バカにするのは恥ずかしい振る舞いだとは思うのですけどね。

そういった世間の冷たい反応がある反面、ケニー・Gのファンたちの彼に対する熱狂ぶりは本当にすごいですね。

このドキュメンタリー映像のトレイラーでも、ケニー・Gが行ったブルーノートでのライブにわざわざコスタリカから来たという女性なども映っていました。彼はヒスパニック系のリスナーに本当に人気があるみたいです。

他にもYouTube動画で見つけたコメント欄に
「亡くなった妻はケニー・Gの大ファンだった。彼の音楽を聴いているといまでも妻が横にいるような気分になる」
といった感動的なエピソードをアップしていた人もいましたね。

アルバムの売り上げ枚数といった単なる数字ではない、こういったファン一人ひとりの熱狂的な姿を見ると「自分はここまで1人のミュージシャンの音楽を熱心に聴くことってできないな」とジェラシーに近い感情を持ったりもするのですよね。

Real Music, Real Jazz(本物の音楽、本物のジャズ)

ケニー・Gの音楽は「スムースジャズ」と呼ばれ、むしろジャズを聴かないリスナーに聴かれてきたのですが、ジャズの世界では彼についてはずっと論争になってきたようです。

つまり「ケニー・Gの音楽は”本当の”ジャズなのか?」という問いかけ

ケニー・Gが”本当の”ジャズなのかどうかはひとまず置いておくとして、そもそも彼のジャズサックス奏者としての実力はどの程度なのでしょうね?

「ケニー・Gは実は強力なテクニックを持ったプレイヤーだ」という評価を雑誌だかガイド本で読んだこともあるのですが。
YouTubeには彼が(難曲とされる)コルトレーンの「ジャイアントステップス」を吹く動画などもアップされたりもしていますね。

ケニー・Gの話をする際に、どうしてもパット・メセニーがケニー・Gについて語ったインタビューの話を出さないわけにはいきませんよね。
メセニーはこのインタビュー(こちら)で、ケニー・Gがジェフ・ローバーのグループに在籍していてメセニー・グループの前座を務めた時の印象を語っています。

彼は、グローバー・ワシントンJrやデイビッド・サンボーンといった、当時のポップス系のサックスプレイヤーたちの演奏スタイルから考えても上級者じゃなかった。リズムに大きな問題があり、和音やメロディのボキャブラリーもペンタトニックをベースにしたものやブルースのリックに由来するパターンなど、非常に限られたものだった。アンサンブルの中でプロのソリストとして演奏するための初歩的な理解しか持ち合わせていなかったんだ。

とかなり辛らつな評価です。

この時のメセニーは、ケニー・Gがルイ・アームストロングの演奏に自分の演奏をオーバーダビングしてデュエットした「what a wonderful world」に対して、その行為を音楽的な死姦(musical necrophilia)とまで言ってひどく腹を立てていたようなので、そのことは割引いて考える必要はあるかもしれません。
ただメセニーから見ると、ケニー・Gの音楽的な素養がジャズミュージシャンとしてはかなり物足りないものだったのは確かなのでしょう。

ちなみにリチャード・トンプソンは、このメセニーのインタビューを受けて”I Agree With Pat Metheny “という曲を作って演奏したみたいです。

また、このインタビューでのメセニーはヒートアップするあまりに
「ケニー・Gと同じようにラリー・コリエルがウェス・モンゴメリーの曲に自分の演奏をオーバーダブさせた時には、それまで抱いていた彼への尊敬が大きく損なわれた」
と、あらぬ方向に怒りを飛び火させていたのにはちょっと笑ってしまいましたが。

もう1点、メセニーは「ケニー・Gの音楽はジャズなのか?」という問いに対して「ジャズなのかどうかといえば、ジャズと言えなくもない」と肯定的で、これは少し意外でしたね。

もうひとり、ケニー・Gについてインタビューでコメントしているのはブランフォード・マルサリス。
彼はケニー・Gに対して、

「彼をすごいと思ったことなんてない」
「ケニーのことは放っておくべきだ。彼のリスナーは本物のジャズコンサートやクラブでは死んでも捕まらないだろうし、逆にケニー・Gを聴いてからはマイルスのレコードは二度と聴かなくなったなんて人もいないだろう」

とこちらも厳しいです。
ケニー・Gについて「論評に値しない」「あんなのはジャズではない」と切って捨てている分、メセニーよりさらに辛らつなのかも。

まあブランフォードはカマシ・ワシントンについて「ジャズのボキャブラリーは貧弱だ」と言ってたりもするので、もともと辛口な人なのかも。

そんなブランフォードがSNSに投稿していた飛行機内でのフライト・アテンダントとのやりとりを紹介

フライト・アテンダント 「トランペットかサックス奏者なのですか?」
ブランフォード 「サックスです」
フライト・アテンダント「だとするときっとケニー・Gのようになりたいんですよね。なれると思いますよ」
ブランフォード 「ええ、それは悪くない考えですね」

こういうのは若干「メセニーもブランフォードもちょっと言い過ぎでは?」と思わなくもないですが、一般リスナーとは違い彼らふたりにはプロのジャズミュージシャンとしてケニー・Gを批評する資格はあるのだとは思います。

ただケニー・Gに1流のジャズミュージシャンとしての音楽的な才能がなかろうと、それはあまり意味のない話かもしれません。
そもそも彼はその限られた音楽的なテクニックですらフルに使わずに演奏しているようですし。

ケニー・Gも彼のファンも、彼の演奏が高度な理論に基づいているかどうかなんて「気にしていない」のでしょう。

Jazz Police(ジャズ・ポリス)

そんなケニー・Gですが、日本では彼のことをあからさまに罵る人はさすがに少ない気はします。
ですが、みんながケニー・G(と彼に代表されるようなタイプの音楽)に理解があるかというと、それもちょっと違うような気がします。

たとえば
「ケニー・Gのアルバムはみんなが悪く言うほど最低じゃない。自分は好き」
「ケニー・Gの音楽はジャズと呼んでも良いんじゃないか」
「スムースジャズじゃなくてただのインストゥルメンタルR&Bと呼べば、彼はジャズファンにも受け入れられたのに」
みたいなことを言う人がいたらどうでしょうか?(たくさんいると思います)

こういう発言って字面ではほめてるようでも、それが意識的にしろ無意識にしろ、ケニー・Gが演奏する音楽を下に見ているのだと思うし、音楽に序列をつけているんだと思いますよ。
まさにこういう態度は「ジャズ・ポリス」「ジャズ・スノッブ」とさんざん(ジャズファン以外から)揶揄されてきたとは思うのですけどね。

さらに言えば、こういう物言いってジャズをあまり聴いたことがない人を「初心者」と呼んだり、その人たちにビル・エヴァンスのアルバムやジョン・コルトレーンの『バラード』や『マイフェイバリット・シングス』を勧めるのと本質的には同じなのだと思うのですけどね。
「そんなつもりじゃない」と反論する人もいるかもしれないですが、実際にそうなんですよ。

いま現在のジャズはチャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスがいた時代とは明らかに変わっていて、その大きく変わった時期は、ケニー・Gやウィントン・マルサリスが現れた80年代と言えるかもしれません。
その変質を「ジャズは死んだ」と表現する人だっているでしょう。

その80年代のジャズの変質が、当時のミュージシャンたちによってではなく、ケニー・Gのような音楽と彼のファンたちを拒絶したジャズの純血主義者たちによって引き起こされた、というのは考えすぎですかね?

Innocent G-man(空気の読めないG-man)

このドキュメンタリー映画では、ケニー・G(彼は良くG-manと呼ばれている)本人も出演しているのですが、映画のレビューやweb記事を読む限りはケニー・G本人に対してかなり攻撃的なインタビューだったみたいです。

インタビューの中で、ケニー・Gがゴルフや投資(彼はスタバの初期投資家だそうです)といったことに夢中で音楽じたいにあまり興味がないこと、音楽理論やハーモニーへの理解が不足していて、スタジオではコードを弾いてくれるアシスタントを雇っていること、といったエピソードが彼自身が話しているのです。

まるで「スーパースターであるケニー・Gの虚像を剥ぐ」ことを目的にしているみたいなインタビューで、ケニー・Gを嫌悪する人にしてみれば「ほらみたことか、やっぱりね」と思わせるような内容になっているみたいです。

「どうして自分からそういうイメージ悪くなること言っちゃうかな」と思うのですが、ケニー・G本人はあまり気にしていないみたい。

彼はルイ・アームストロングやスタン・ゲッツとデュエットで共演した時も
「ほら、自分のファンはルイ・アームストロングもスタン・ゲッツも知らないだろうから。この曲を聴けばふたりのアルバムを聴いてくれるようになると思うんだ」
と言ってみたり、浮世離れしているというか、かなり「空気の読めない」発言も多いのですよね。

そういう「空気の読めなさ」がジャズファンや評論家の神経を逆なでしてきたのは確かみたい。

ケニー・Gのこういうメンタリティがどこから来るのかよく分かりませんが、マイケル・ジャクソンもそうだったように、アメリカでスーパースターでいることは、一般庶民の常識からはどんどん離れていってしまうのかもしれません。

最後に、
ブログを読む人に先入観を与えてるとマズいかなと思ってここまで書かなかったのですが、正直なところケニー・Gの音楽を好んで聴くかというとそうじゃないです。

ブログでミュージシャンの話題を書く時は大抵はその人のアルバムを聴きながら書くのですが、最後の方はちょっと苦痛になってきました(小声)

どうしても彼に対するイメージが先に立って、まっさらな気持ちで音楽を聴くことができなくてモヤモヤするんですよね。

とはいえ、そのモヤモヤの正体はわたし自身の了見の狭さなのだろうし、変わるべきはケニー・Gではなくて自分なんだろうな、とは思うのですけどね。

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