心の中のエルサレム/エルサレム・イン・マイ・ハート

モントリオールをベースに活動するレバノン出身のプロデューサー、ミュージシャンのラドワン・ガジ・ムーメネ(Radwan Ghazi Moumneh)が中心となったプロジェクト「Jerusalem In My Heart (JIMH)」の紹介です。

ちなみに「Jerusalem In My Heart」という言葉は、レバノンの伝説的な歌手フェイルーズが1972年にリリースしたアルバムタイトルでもありますね。

JIMHは、ムーメネが作りだすアラブ音楽と電子音響を組み合わせた音楽と、 シャルル=アンドレ・コデール(Charles-André Coderre)やエリン・ウィーズガーバー(Erin Weisgerber)ら映像作家が作るオーディオ・ビジュアル・ライブパフォーマンスを組み合わせたプロジェクト。

いやー正直にいうと、このJIMHについては全く名前は聞いたことはなかったのですよね。

たまたまSNSで名前を見て最新作である『Qalaq』(2021)や過去作を聴いてみたのですが、どれも素晴らしいアルバムでした。
基本的にはこのブログは新作の紹介を載せているのですが、今回は特別に旧作の紹介。

モントリオール ⇔ レバノン

もともとムーメネは、Godspeed you! Black Emperorのアルバムの録音などでも知られるレコーディングエンジニアで、モントリオールにあるレコーディングスタジオThe Hotel2Tangoの共同オーナーでもあるそうです。

モントリオールを拠点とするConstellationレーベルともつながりが深く、同レーベルからリリースされたマタナ・ロバーツ(Matana Roberts)のCoin Coinシリーズといった話題作のレコーディング・ミキシングを担当しています。

ムーメネさんはもともとは裏方の人ということですね。

いちおうヴォーカルやブズーキ(アラブ音楽で使われる弦楽器)を演奏することもあるようでが、楽器演奏のスペシャリストというわけではないようです。

JIMHのアルバム制作においてもムーメネさんはプロデューサー的な立場のようです。

アルバム制作におけるプロデューサーの役割といってもさまざまですが、彼の場合はミュージシャンの演奏をサポートして良さを引き出すというより、自分の要求にあう演奏家を集めアルバムづくり全体をディレクションして指示を出す、いわゆるパフ・ダディ・スタイルののプロデューサーですね。

JIMHの音はジャンルでいうとアラブ音楽、インディーロック、電子音響のハイブリッドといった表現になるかもしれませんが、重厚なドローン音やノイズ音といった電子音にアラブ楽器が妖しげにミックスされるという感じ。

音の印象を他のアーティストに例えるなら、アンビエント寄りにシフトしたMuslimgauze、もしくはあんまりうるさくないBadawiといった感じでしょうか(テキトー、かな)

そんな中、2019年にリリースされた『Daqa’iq Tudaiq』は、アラブ世界の伝説的な作曲家モハマド・アブデル・ワハブの曲をオーケストラバージョンでレコーディングするという、ムーメネの長年の夢を具体化したアルバムです。JIMHはムーメネの故郷であるベイルートで15人編成のオーケストラを結成しこのセッションに臨んだそうです。

アラブ楽器の重厚で催眠的なムードが満載のこの作品は、ムーメネのメリスマティックなヴォーカルと電子音響的なプロダクションの理想的な組み合わせを聴くことができます。

カナダをベースに活動していたこともあってか、JIMHはどちらかというとアラブ音楽を好むリスナー層というより電子音響的な作品を好むリスナーに聴かれていたんじゃないかと思います。
ですが、おそらくこの『Daqa’iq Tudaiq』の影響もあって現在ではワールド系のアーティストとしても認知されてきて、近年は世界各地のフェスなどにも出演するようになっているようです。

『Qalaq』

その後にリリースされた『Qalaq』(2021)では、アルバムのアートワークに2019年のベイルート10月革命の様子を捉えたMyriam Boulousによる写真が使われており、崩壊する国内政治、経済、インフラ、2020年のベイルート港爆発の悲劇と余波、蔓延する汚職といった近年のレバノンの状況を投影したシリアスなアルバムとなっています。

『Qalaq』というタイトルは、複数の意味を持つアラビア語で、ムーメネ自身は「深い悩み」という意味で使っているそうです。
ムーメネは自身は、レバノンの内戦から逃れた両親に連れられてカナダに移住してきて現在もカナダ在住なのですが、両親は現在はレバノンに帰っているため、いまのレバノンの状況は「他人事」ではない話なのですよね。

また『Qalaq』は1曲ごとに多彩なゲストミュージシャンを迎えて作られた点も特徴的。

メジャーなところではティム・ヘッカー(Tim Hecker)などが参加しており、他にもIrreversible Entanglementsのラッパーで近年はソロ作も注目されているムーア・マザー(Moor Mother)、ニューメキシコ出身のザッカリー・フランシス・コンドン率いるベイルート(Beirut)、コロンビア出身のエクスペリメンタル電子音楽作家ルクレシア・ダルト(Lucrecia Dalt)なども参加しています。

話は変わりますが、このアルバムがきっかけでゲストのひとりであるルクレシア・ダルトのアルバムを初めて聴いたのですが、電子音と加工された生音/ヴォーカルのバランス感が素晴らしい作品ですね。いつかブログに書きたいです(気が向けば…)

この『Qalaq』が制作されたのはコロナ・パンデミックの時期だったため、ムーメネは各ゲストミュージシャンと音源ファイルを交換しながらの作業となったようです。

まるで参加ミュージシャンそれぞれのソロ作をムーメネがプロデュースして、それをコンパイルしたような作りになっていますね。

また結果としてこれまでのJIMHと比べると明らかにアラブ音楽的な要素は少なめです。

この「アラブ音楽へのこだわりの無さ」は、アラブ音楽満載だった前作『Daqa’iq Tudaiq』でいったん区切りが付いたためなのか、そもそもムーメネはアラブ音楽じたいに執着がない人なのかはわかりませんが。

ただアラブ音楽的な要素が希薄でも、ひとつの音響作品として聴いても極上で、多彩なゲストを招いていていながら全体的な統一感があるところもさすがです。

ムーメネの音楽制作方法をみてみると、おそらく彼には音楽をゼロから作りだすという(たとえばスティービー・ワンダーのような)意味の才能はあまり無いんでしょうね、きっと。

別にディスっているわけではなくて、ムーメネはそういった音楽的な才能とは別に、音楽の良し悪しを聴きわける耳=センスとプロデューサー的な能力で勝負しているということなのでしょう。

プロデューサーとして良い耳を持っていて、音楽的な要望に答えてくれる演奏者を呼べる環境があって、トライ・アンド・エラーを繰り返せるだけの時間があれば、遅かれ早かれいつかは良い作品を作ることができるということじゃないかですかね。

同じように「音楽的な才能は無さそうだけどセンスは良いので優れた作品ができる」アーティストというと、たとえばマドンナとかですかね。