パンソリ歌手イ・ジャラム 「国楽の神童」から「伝統の改革者」へ 

今回の投稿は、ワールドミュージック雑誌Songlinesで取り上げられていた(こちら)、韓国のパンソリ歌手イ・ジャラムさん(Jaram Lee=이자람 =李子蓝)について紹介。

注目すべき活動を続けているアーティストなので、これは気合を入れて紹介しないと。

パンソリとは

まずパンソリについて簡単に

パンソリは、韓国に古くから伝わる物語を歌う伝統芸能で、ひとりの歌手と打楽器(ブク)のみによる伴奏で演奏されます。

歌だけではなく時に語りのようになったり、(日本の落語のように)ハプジュクセンと呼ばれる扇をストーリーに出てくる小道具に見立てて、身振り手振りや表情を交えて物語を紡ぐ、かなり演劇の要素が強い芸能です。

パンソリで歌われる演目はかつては12作品ほどあったとされていますが、現在完全な形で残っているのは「春香歌(チュニャンガ)」、「沈清歌(シムチョンガ)」、「興甫歌(フンボガ)」、「水宮歌(スグンガ)」、「赤壁歌(チョッピョッカ)」の5つ

その中でも「春香歌(チュニャンガ)」と「沈清歌(シムチョンガ)」の2つが最も人気で良く歌われているようです。この2つの演目でおそらく6~7割を占めているんじゃないでしょうか。

ひとつの演目をフルで歌うと最長で8時間近くになるそうで、通常の公演では一部のシーンを抜粋して歌われるようです。

イ・ジャラム

今回紹介するイ・ジャラムさんは、1979年生まれ(2022現在は43歳)で同世代のソーリクン(パンソリ歌手)の中では第1人者と言われているそうです。

10代前半からウン・ヘジン、オ・ジョンソク、ソン・スンソブという伝説的なパンソリの巨匠に指導を受け、一部では「国楽の神童」とも呼ばれていたとか。

ソウル大学国学科でも学び、18歳の時に(おそらく5時間近くかかるのだと思いますが)「沈清歌(シムチョンガ)」という演目の8つのシーンを通しで歌った最年少歌手としてギネス認定されたそうです。

彼女の両親も、Bubble Gumというフォークポップデュオを組んでいたミュージシャンだったそうで、彼女がまだ3歳のとき親子で共演した「Yesol」という曲は、その年の韓国最大のヒットソングとなったそうです。
この「Yesol」の動画はこちら。子どもが歌う童謡のような曲で音楽的にはどうということはないですが。

子ども時代のイ・ジャラムは「Yesol」でみんなから知られる有名人で、日曜朝のテレビ番組のレギュラー・コーナーに起用されたりもしたそうです。この出演がきっかけで、名歌手ウン・ヘジンからパンソリを教わるという縁も生まれたとのこと。

ポップスで育った彼女にとって、パンソリの歌は馴染みのないものだったそうで。「初めて彼の声を聞いたとき、変で醜い声だと思ったんです。でも、彼はとても魅力的だったんです」と感じたそうで、彼女のパンソリの稽古がはじまることになります。

パンソリはすでに伝統芸能化しており、若い世代が(クラブ活動みたいなのじゃない)本格的なパンソリトレーニングを受けるケースはかなりまれだと思いますので、そういう意味では彼女の特異な子ども時代の環境が、パンソリ歌手への道をひらいたのかもしれません。

ブレヒト、ガルシア=マルケス、ヘミングウェイ

今回のSonglinesマガジンの記事では、ヘミングウェイの小説「老人と海」をパンソリで上演するというプログラムについてとりあげていました。

パンソリは前述のように演目は決まっているので、新作を作り上演するという試みはかなり珍しいはずです。

彼女はパンソリの伝統と自身の活動について、韓国版のTEDで講演をしています(翻訳でおよその意味はわかります)

彼女がこの講演の中で指摘していることのひとつは、パンソリはその歴史の中でさまざまな形に変化し影響しあいながら発展してきたが、ある時期から決まったスタイルに固定化されてしまった、という点。

彼女はその固定化が行われた要因が、日本の植民地支配時代(「日帝」と翻訳されてましたが、、)の影響だと指摘していました。

また朝鮮戦争後に韓国が近代化していく中で、重要な伝統は無形文化遺産として体系化されたのですが、1964年に法制化された中にパンソリがありました。
この時点でパンソリの固定化はさらに強化され、保護すべきものとしてパンソリのダイナミックな変化は止められてしまったということのようです。

ジャラムは伝統的なスタイルのパンソリ歌手として注目されていましたが、一方でイ・ジャラムは「伝統的な演目ではない自らのパンソリを作り上げる」ことに情熱を注ぐようになったようです。

みずから歌詞を書き、作曲をし、そして歌う。

こういった斬新な新しい試みは彼女の活動の初期から行われていたようです。
当初は、「韓国社会の中での女性の立場」といったテーマをパンソリ・スタイルで歌っていたとか。

そんな中、ソウルのチョンドン劇場から公開委嘱を受けることになったことをきっかけに新作を作ることとなったそうです。
ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトの『四川の善人』を再演した『サチョンガ』を新たに作り、2007年に初演を行いました。
さらにおなじくブレヒトの『肝っ玉おっ母とその子供たち』を題材にした『ウクチュク・ガ』も上演し、高い評価を得たようです。

このブレヒト作品は大編成のバンドによる音楽であり、パンソリのテイストは控えめなものだったそうですが、その後に上演されたガブリエル・ガルシア・マルケスの短編小説「ボン・ボヤージュ、ミスター・プレジデント」では、彼女はブクとギターだけを伴って歌い、現時点での最新作である「老人と海」では、ブクの伴奏のみで歌うという伝統的なパンソリに近い形に変化してきているようです。

西便制

パンソリというと、ほとんどの人はイム・グォンテク監督の『風の丘を越えて/西便制』という映画でその存在を知ったんじゃないかと思います。

これは韓国の各地を旅芸人として放浪しながら、貧しい生活の中で厳しいパンソリの修行を行う父、息子、娘の親子3人を描いた作品です。

タイトルとなった西便制(ソピェンジェ)というのはパンソリの型というかスタイルの名前で、装飾音などをなるべく排し人間の声そのものの魅力を活かすスタイルを東便制と呼び、それに対しトレーニングによって得られる技術を重要視するスタイルを西便制と呼ぶそうです。

ちなみにイム・グォンテク監督は、最も人気のあるパンソリの演目である春香歌の物語をそのまま映画化した『春香伝』も撮っていますね。

この『風の丘を越えて/西便制』はかなり重苦しい話でエンタメ要素も少ないのですが、当時韓国では記録的なヒットとなったそうです。

この映画のヒットを受け、2010年に伝統的なパンソリだけではなくロックやポップスなども取り入れた形でミュージカル化されたのですが、イ・ジャラムさんはパンソリ歌手ソンファ役に抜擢されていました(ミュージカル女優チャ・ジヨンさんとダブルキャスト)

イ・ジャラムさんの歌と演技は高い評価を受ける一方で、ミュージカル自体は当初は興行的に厳しく、それを苦にしたプロデューサーが亡くなったりしたそうです(作品の出来もあったかもしれませんが、そもそもミュージカルは製作費もかかるし収益のあがりにくいアートフォームだと思いますし)

そのため、途中でストーリーや登場人物にテコ入れが入ったりしたそうですが、その後は原作の著作権契約が切れるまで、ロングランミュージカルとなったようです。

パンソリへの回帰

イ・ジャラムさんは、伝統的なパンソリのの枠を超えたチャレンジングな活動を行っていて、高い評価と人気を得てきたようです。
他にも彼女は自身がリーダーのポップスグループであるAmado LEE Jaram Bandのリードボーカルや、ラジオDJなども行っているようです。

そういった活動を行いつつも、彼女は

再び伝統的なパンソリを歌いこなしたいと思っています。もう一度、ソウルでなぜかわからないが、沈清歌ももう一度やりたいと思うんです。シムチョンガと一緒にパンソリを歌うようになったんです。ふと、原点に立ち返ってみたいと思いました

といった発言もしているようです。

2022年の今年になって、彼女は伝統的なパンソリのみのアルバム『水宮歌(スグンガ)』をリリースしていました。ストリーミングで聴けます。

そもそもアン・スクスンなどの少し前の時代は音源もまばらでCDの形の音源は少ないし、今回の『水宮歌(スグンガ)』みたいなアルバムがリリースされるのはレアだしうれしいですね。

そして彼女の歌ももちろん文句なしに素晴らしいです。

彼女の活動のように、伝統音楽が現在に息づいているのを見ることをうれしいですし、彼女の今後の活動から目が離せないですね。