フィラデルフィアが生んだ「伝説のピアニスト」 ハサン・イブン・アリ

ここ数日の海外のジャズ関係のメディアはいっせいに、ピアニスト、ハサン・イブン・アリが1965年にレコーディングしたアルバム『Metaphysics』のリリースについて報じていました。

このアルバム『Metaphysics』がリリースされるまでの経緯はすごくドラマチックで、映画のような劇的なできごとが積み重なったリリースされたということで、リリース前から注目されていたアルバムです。

ハサン・イブン・アリは1950年代から60年代初頭にかけてフィラデルフィアで活躍したピアニストで、これまでは生涯で参加した唯一のアルバム『ザ・マックス・ローチ・トリオ・フィーチャリング・ザ・レジェンド・ハサン(1964)』の演奏でのみ知られた存在でした。

このアルバムはマックス・ローチの推薦により参加したのですが、このレコーディングした後にアトランティック・レコードの幹部はハサン・イブン・アリの演奏を気に入り、彼のリーダーアルバムを翌年にレコーディングします。
ですが、その直後にアリが麻薬所持で逮捕・投獄されたことから、アトランティックはアルバムのリリースを見送ることとします。
その後、70年代にアトランティック・レーベルの倉庫が火事になりマスターが消失するという出来事があり、アリのリーダーアルバムもいっしょに焼失してしまったと考えられていました。
(この時にアレサ・フランクリンやオーネット・コールマンのアルバムなど多くのマスターテープが消失したそうです)

(後で詳しく書きますが)その後に演奏活動を止め、忘れ去られていたハサン・イブン・アリですが、2017年に再び彼に注目が集まります。

フィラデルフィアで活動するジャズライターで、ピアニストでもあるルイス・ポーターという人が仲間うちで話した「ハサン・イブン・アリの未発表アルバムについて知っているか?」という会話がきっかけで、ポーターは失われた録音テープを探しはじめることになったのです。
彼はまずアリの友人でプロデューサーのアラン・スコーニグに連絡を取り、スコーニグの紹介でかつてライノ/アトランティックのジャズカタログのリリースに関わっていた音楽プロデューサーのパトリック・ミリガンとコンタクトを取りました。
パトリック・ミリガンの尽力もあり、過去音源の捜索を行ったところ、最終的にはワーナーの保管庫にアリの幻のリーダーアルバムのコピーが保管されていることがわかったそうです。
(そういう経緯もあって、今回の『Metaphysics』は、パトリック・ミリガンのレーベルOmnivore Recordingsからリリースされていますね)

フィラデルフィア

フィラデルフィアは活気あふれるジャズシーンが存在しており、1950年代にはハサン・イブン・アリは街のジャズシーンでは知られた存在だったようです。

当時のフィラデルフィア北部には、ほぼ数ブロック内にベニー・ゴルソン、ソニー・フォーチュン、リー・モーガン、レジー・ワークマン、そしてジョン・コルトレーンが住んでいたそうです。
こうやって聞くとすごい話ですね。

ちなみにアリのご近所だったというリー・モーガンのアルバム『Vol.3』には「Hasaan”s Dream」という曲が収録されています。これは同じくご近所で『Vol.3』にも参加しているベニー・ゴルソンの曲。
(ソースは確認できなかったのですが)タイトルはハサン・イブン・アリのことに間違いないのでしょう。

アリは彼らの中ではメンター的な存在でもあったようで、コルトレーンやワークマンを実際に指導していたとか。当時としては先進的なスタイルで演奏していて、のちにコルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれるスタイルに影響を与えた、という人もいるようです。

一方で、気に入らない演奏をした共演者をステージから追い出したりと気難しい面も多かったようです。フィラデルフィア大学でアリの友人だったアラン・スコーニグによると
「ハサンは、フィラデルフィアから生まれた偉大な音楽家たちのほとんどに影響を与えています。その一方で、彼はコミュニティからはある意味では”除け者”にされていました」
とも言っています。

30才を超えて音楽で生計を立てていたにも関わらず両親とともに実家に住んでいたり、「変わり者」と見られていたようではあります。
何かメンタルに問題を抱えていたのかは確かなようです。それがドラッグの影響なのかはよくわからないところですが。

実際、ドラッグ所持で逮捕された後には(自身のアルバムリリースをアトランティックが拒否したことへの不満も重なり)実家に引きこもり、満足な演奏活動はできていなかったようです。
その後に1972年に起こった自宅の火事で住み慣れた家と母親を失うという不幸も重なり、その後1981年に脳梗塞で亡くなるまでずっと療養施設で過ごしたそうです。
(彼の死後に葬儀を取り仕切ったのは、イブン・アリを師と仰ぎ『Metaphysics』にも参加しているサックス奏者のオディーン・ポープ)

City of Brotherly Love(兄弟愛の街)

クリスチャン・マクブライド、カート・ローゼンウィンケル、ジョーイ・デフランセスコ、などフィラデルフィア出身のジャズミュージシャンは多くて、彼らのSNSなどを見ていると自分たちの故郷に愛着があり、同郷の人とのつながりが強いですね。
アメリカに住んでいないのでこのあたりの感覚はピンとこないですけど、大阪の人の連帯意識みたいなものかも。

『Outspoken–The Music Of The Legendary Hasaan』

ちなみに、このブログでも何度も取り上げている、ピアニストのブライアン・マルセラ、ベーシストのクリスチャン・マクブライドというフィラデルフィア出身のふたりがレコーディングしたハサン・イブン・アリのトリビュート盤も2018年にリリースされていました。

彼らにとって、ハサン・イブン・アリは地元のジャズシーンが生んだヒーローのひとりであり、(ドラッグその他で活動を止めることがなければ)後世に名を残すべき演奏家だったということなのでしょう。

この『Metaphysics』を聴いた人は「このアルバムでハサン・イブン・アリが革新的な演奏家だったことが証明された」と評する人もいて、今から聴くのが楽しみですね。

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