メキシコ系アメリカ人のプロデューサー・DJ、デリア・ベアトリス(Delia Beatriz=通称Debit)のセカンド・アルバム『The Long Count』の紹介
彼女は1stアルバム『Animus』をリリースした時点で、すでに南米のクラブミュージックの世界で知られた存在だったそうです(こういうジャンルには疎いのですけど)
ですが、今回の『The Long Count』では180°趣向を変え、メキシコ国立自治大学のマヤ研究所のアーカイブを機械学習で再構築したという、興味深い作品をリリースしました。
オカリナ、ホイッスル、フルートといったマヤ文明で使われた楽器が奏でるアンビエント・ドローン音楽となっており、古代マヤ文明の時代へタイムスリップした錯覚におちいるような作品となっています。
『The Long Count』はマヤ文明の暦に由来するタイトルだとか。
印象的な音の選び方と重層的なテクスチャーが素晴らしいアンビエント作品で、なんとなくカール・ストーン『Mom’s』(←マスターピース)を連想させます。
わたしがアンビエント音楽に感じる良さは、音響処理といったことよりも、ぴったり適切な音がぴったりと配置されている収まりの良さ・心地よさといった点。
そういった意味に限っていうと、この『The Long Count』は極上のアンビエント作品に聴こえますね。
この作品は、古代マヤ文明の楽器をアレンジするというアカデミックな雰囲気の漂う作品なため、クラブミュージックシーンにとどまらない反響が起こっているアルバムのようです。
The Guardian誌などにいろんなメディアに取り上げられたりもしていましたね(こちら)
彼女はアルバムのリリースに際しいくつかインタビューを受けていて、そこでは「マヤ文明の音楽を機械学習・AIを使って甦らせた」といった紹介のされ方をするのですが、実際のところ何をやっているのか良くわからないところですね。
おそらくですが、限られた過去の限られた音源から好きな音程をキーボードで演奏できるようにライブラリセットを作ったということじゃないでしょうか。
(Kontaktのような)ソフトウェアサンプラーだと標準機能でもできるのだと思いますが、そこをみずから機械学習で周波数解析から音処理を行なったっぽいです(違っていたらすいません)
国境を越えて
そんなDebitですが、彼女の経歴はなかなかに興味深いです。
彼女の音楽にそこまで色濃くあらわれている訳ではないですが、彼女自身は非常に政治的でラディカルな人物のようです。
Debitはもともと、メキシコの工業都市モンテレイ生まれ。
しかしデリアと兄が10代前半になると、両親は英語も話せないにもかかわらず、彼らを連れて国境を越え、アメリカ中西部のインディアナポリスに移り住んだ。インディアナでは彼女の家族はマイノリティであり、
「この頃に世界中にさまざまな形で存在する不平等や差別について学び始め、それが私を過激化させた」
と回顧しています。
2年後に家族はヒスパニック系住民が大多数を占める国境の町、テキサス州ラレドに引っ越し、高校卒業後にデリアは全額奨学金を得てブラウン大学で国際関係学とラテンアメリカ研究のリベラルアーツの学位を取得することになります。
ちなみにブラウン大学では専攻以外で電子音楽も学んだそうで、この時に経験が後のキャリアにつながってくることになります。
「周囲には ”大使になって階級闘争を解決したい” と言っていましたが、本当は革命家になりたかったんです」
と語っているとおり、ブラウン大学のあるロードアイランド州プロビデンスに通いながら同時にメキシコで最も貧しい州と言われる最南端の州チアパスでも生活を行い、先住民族であるマヤ人の農民を中心とした抵抗組織である「サパティスタ民族解放軍」と連帯する日々を送っていたそうです。
このサパティスタ民族解放軍との関わりは、彼女のアルバム『The Long Count』の重要な前触れとなってきます。
ブラウン大学を卒業後、彼女は南米各地をめぐり、各地の社会主義的なコミュニティと関わりを持ちつつ、デジタルアーティストとしての活動も続けていきます。
まず親友をたよってブエノスアイレスに渡り、その次にチリのサンチアゴへと国境を越えて向かいます。
こうした彼女のプロフィールは、まるで若き日のチェ・ゲバラを思いおこさせますね。
彼女の1stアルバム『Animus』は、基本的には当時(2018年)の南米のクラブシーンのマナーに沿った音づくりがされた作品で、おそらくDebitが南米の国をめぐりながらローカルのミュージシャンと電子音楽の共同制作を行っていた時のマテリアルに近いものだと思いますね。
(実際のところ、当時クラブで聴くならまだしも、2022年の現在にストリーミングで聴くには特筆すべきところのない作品には思えますが)
そんなDebitは、現在では南米の旅を終え、ニューヨーク大学で音楽工学の修士課程に入り、オーディオ・エンジニアリングとプログラミングを中心に学んでいくことになります。
モートン・サボトニックの授業を受けたりもしたそうです。
この時期に新たに学んだスキルを形にしたものが、ひとつは2019年にリリースされたトライバル・グアラチェロ・スタイル(=メキシコ北部のクラブ・ミュージックのジャンル)の『System-EP』であり、そこから再びマヤ文明への興味や情熱をアルバムにしたのが、今回の『The Long Count』ということですね。
追記
アルバムジャケットのドロドロに溶けたようなポートレイトは、写真をリアルタイムに画像処理するアート作品の一瞬を切り取ったものみたい
彼女のHPのトップ画面ではオリジナルの作品が観れます(しばらくすると消えちゃうかもしれないけど)