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タナソーさん、ビリー・アイリッシュについてムチャな自論を展開

「タナソーがスッキリに出るらしい」

先日、朝の情報番組「スッキリ」で今年のグラミー賞を独占したビリー・アイリッシュについて特集があり、そこで「ビリー・アイリッシュ専門家」として田中宗一郎さんが出演したそうです。
ビリー・アイリッシュのグラミー独占というタイミングもあり、SNSではざわざわしていたよう。

この出演についてのまとめは

オンエアは平日の朝の9時くらいだったようで、若い世代はみんな学校か会社に行っている時間ですね。洋楽にあまり興味のない人たち向けのコーナーだったのかも。

わたしは後になって番組内での発言内容について確認してみたのですが、パッと聞いた感想は「洋楽とか興味なさそうな視聴者相手だからって、テキトーなこと言ってるな」でした。

ただそうは思わない人たちもたくさんいたようで、SNSなどをチェックしてみると「さすがタナソー、分かりやすかったし、ビリー・アイリッシュの魅力について新たな視点を提示してて良かった」と好意的な意見が多かったんですね。
ビリー・アイリッシュは話題だし人気があるのはわかる気はするのですけど、さすがにこういう意見にはびっくりです。

「ひとりで全部する美空ひばり」

スッキリ!でのビリー・アイリッシュの解説はいろいろおかしいと思うのですけど、なんと言ってもこれ。

ビリー・アイリッシュのすごさについて、「彼女は世界の10年分の音楽を表現している」と言い「ひとりで全部する美空ひばり」というキャプションを付けて、女優でもありジャズからラテン音楽まで歌いこなす美空ひばりさんに例えていました。

ビリー・アイリッシュが美空ひばりさんみたいに「何でもできるアーティスト」なんてデタラメでしょ!

と思うんですよね。例えばひとつ例をあげますね。

今週末、アメフトのスーパーボウルがありますが、毎年ここで国歌斉唱を誰が歌うかは注目されますし、選ばれた歌手にとってはすごく名誉なことだと思います。
(湾岸戦争の年1991年に国家を感動的に歌い上げたホイットニー・ヒューストンが有名ですね)

こちらの動画は今年のグラミーでビリーと争ったアリアナ・グランデが国歌斉唱を行う動画(スーパーボウルじゃないですけどね)

ビリー・アイリッシュがこういったシチュエーションで国歌斉唱を歌いあげるほどの歌唱力があるかといったら、答えはノーでしょう。
これが美空ひばりさんであればたとえアメリカ国家でも素晴らしい歌を聴かせることができたと思います。美空ひばりさんのジャズスタンダードを聴いたことがありますが、おそらく耳がすごく良いのだと思いますが、素晴らしかったです。

これは別にビリー・アイリッシュをディスっている訳じゃないですよ。

圧倒的な歌唱力でどんなスタイルも歌いこなすだけがアーティストの価値ではないと思いますし、ビリー・アイリッシュの歌には他の歌手にはない魅力があるというのは確かなのでしょうから。
それはミュージシャンのタイプの話であり個性の話でもあります。

ただそんな彼女を「なんでもできる」と言うは明らかな間違い。

また、スーパーボウルのハーフタイム・ショーは例年ミュージシャンのパフォーマンスが話題で今年はジェニファー・ロペスとシャキーラだそうです。開催地はマイアミですからね。
スーパーボウルのハーフタイム・ショーみたいな(特にファンでもない人がたくさん観る)シチュエーションで、ビリー・アイリッシュに観客を熱狂させることができるかと言えばそれもノーでしょう。
彼女の音楽は彼女の熱狂的なファン以外にはあまり受け入れられない種類のものなのだと思います。こういうところも美空ひばりさんと全く違う。

もうとにかく、「ひとりで全部する」とか「美空ひばり」とかまったく的外れだと思いますね。

ビリー・アイリッシュがアメリカ社会にはびこる不安の代弁者??

番組の中で、「アメリカがいきなりイランの指導者を殺しちゃうし」とか「気候変動への不安が」とか、そういうアメリカのティーンが感じる不安があり、ビリー・アイリッシュはその代弁者だというニュアンスの説明をしていたのですけど、これもまぁデタラメでしょうね。

ビリー・アイリッシュのこのライブ写真を見てみてくださいよ。

https://www.youtube.com/watch?v=lpKE6yBw2Os

この写真の(多くは10代の)ビリーファンが、とてもそんな社会問題を心配しているとは思えないでしょ(おそらくイランの場所すら知らないと思う)

ビリー・アイリッシュは、言ってみればジャスティン・ビーバーのようなポップスターであって、(今までとは違ったスタイルではあるけれど)ティーンが「カッコいい」「ああいう風になりたい」と思える存在、ただそれだけなんだと思うのですけどね。

タナソーさんの意見にはバイアスがかかっている

おそらく田中宗一郎さんは、「トランプ政権の横暴に対する不満」だとか「女性の権利についてエンパワー」とか「気候変動」について、ビリー・アイリッシュがティーンに共感を得ていると「本当に」思っているのでしょう。

ただそれって、はっきり言ってただの思い込み。

どうしてそういう思い込みをしてしまっているかというと、「女性ポップスターは社会問題でもティーンに強くコミットしていくべき」という田中宗一郎さん自身の願望・思いが強すぎるからでしょう。

社会的(政治的)なスタンスが評価される「べき」いまのアメリカ社会において、ティーンに人気のあるビリーは当然その発言が評価されて人気があるはずだ、という思い込み。

これはもういわゆる確証バイアスで、自分の考えと合致する事実を過大評価し、逆に相反する事実は無視するか極端に過小評価してしまっているのだと思います。

そもそも、ポップミュージックを聴く層が社会問題に前向きなわけないじゃないですか。
トランプとヒラリーが出馬した大統領選挙の時には、ミュージシャンたち総出でトランプ大統領への不支持をアピールしたのに、トランプ大統領はあっさり当選してしまった訳です。

はっきり言ってポップスターはほとんど社会へ影響を与えることができなかった。「まぁしょせんセレブの言うことだから」と見透かされていた。

アメリカのティーンたちも、
「こんなはずじゃない、音楽は社会をもっと変えられるはずだ。ビリーならやってくれる」
なんてこと思っていないでしょう。
もう一度言いますが、ライブ写真を見てください。彼女の観客にそんなこと思っている人はほぼいないです。
おそらくビリー・アイリッシュのファンは選挙にも行っていないはず。

音楽番組「POP LIFE」で音楽以外の話題を語る大人たち

田中宗一郎さんはSpotifyで「POP LIFE」というポッドキャストの番組を持っていて、そこでも「女性ポップアイコン」について語っていて、ビリー・アイリッシュの話も出てきます。
言ってみれば社会の変化と音楽がどう関わるかと言った「社会学的」な見方から音楽を語っているのですけど、特徴的なのは「音楽そのもの」についてはほとんど語らない、ということ。

わたしが良く聴くジャズについて書かれる文章では、菊地成孔さんの本などが特徴的なように、和声やリズムなどの音楽そのものについてエキスパートが語ること、音楽シーン移り変わりを当事者であるミュージシャン自身が語ることが一般的になってきたのだと思います。

ジャズの批評でこういうミュージシャン目線の文章は音楽の新たな魅力を発見させてくれましたし、(タナソーさんみたいな)音楽とは関係ないイデオロギーの発露のような批評は時代遅れだし淘汰されつつあるんですよ。

わたしはSpotifyユーザーでもあるのである時期「POP LIFE」を聴きはじめたのですが、音楽の話が聴きたかっただけなのに音楽の話をぜんぜんしない「POP LIFE」は聴くのはもう止めちゃいましたけどね。