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ガザルで歌われる弟へのレクイエム 『Vulture Prince』

 

アルージ・アフタブ(Arooj Aftab)はパキスタン出身で現在はニューヨークで活動する女性シンガーで、今回は彼女がリリースしたアルバム『Vulture Prince』(2021)の紹介

新作アルバムのリリースに合わせて彼女の紹介記事(→こちら)がpitchforkに掲載されていたこともあって、あらためて聴いてみました。
SNSで検索してみると、この『Vulture Prince』についてコメントしている人は多くて、けっこう話題になっていたアルバムみたいです。

主にウルドゥー語と英語で歌われていてパキスタンのガザルをベースにしたメリスマティックな歌も聴けるのですが、全体としてはそこまで民族音楽っぽいテイストではないですね。
ギター、ピアノ、ストリングスを主体としたシンプルなバックトラックで、フォーキーというかアメリカーナっぽい雰囲気のアルバムです。

当初この『Vulture Prince』は、エッジーでダンサブルなアルバムをリリースする予定だったとのことですが、アルバム制作中に弟のMaherさんを亡くすという不幸に見舞われたことから、中身を大幅に変更したそうです。
アルバムからいくつかの曲をカットし、パーカッションをすべて取り除き、ストリングスやシンセサイザーを増やすなど楽器編成を綿密に変更したことで、全体的に内省的で苦しみや喪失感に満ちたアルバムとなっています。

リービング・ラホール

アルージ・アフターブはパキスタンのラホール(日本で言う京都みたいな古都)で育ち、音楽好きの両親のもとで育ちベグム・アフタールやアビダ・パルヴィーンなどのガザルや、ジェフ・バックリーといったシンガーソングライターの曲を聴いて10代を過ごしたそうです。

彼女はずっとミュージシャンになりたいと思っていたそうですが、2000年代初頭にNapsterなどのファイル共有サイトにレナード・コーエンの「ハレルヤ」のカバーをアップして、この話題になったことがきっかけとなり、プロミュージシャンを目指してバークリー音楽院へ入学することになったそうです。
(また彼女はクィアであることを公言しているのですが、パキスタンは彼女にとって居心地が良い国ではなかったのかな、とも思います)

こちらがその「ハレルヤ」のカヴァー

バークリーではプロダクションとエンジニアリングを学んだということで、特にヴォーカルを学んだ訳ではないのですね。

彼女についてのpitchforkの記事に
「アフタブの歌声はパキスタンの “スーフィー音楽の女王 “アビダ・パルヴィーンとよく比較される」
と書かれていて、「さすがにそんな訳はないでしょ、全然似てないし」と思ったのですが、アフタブ自身がパルヴィーンに影響を受けたというのは事実のようです。本人もそう語っていますし。

アフタブは実際にパルヴィーンと会ったことがあるそうで、この時のエピソードがweb記事に載っていたのですがなかなか興味深いです。
アフタブとパルヴィーンは、ニューヨークで開催されたスーフィー音楽祭にたまたま同時に出演する機会があったそうですが、アフタブはパルヴィーンのホテルの部屋番号を突き止め部屋に押しかけていったそうです。パルヴィーンは彼女は歓迎し最終的にはハルモニウムを取り出して一緒に歌ったりしたそうです。
アフタブはニューヨークに引っ越してきたばかりで自分の生き方を模索していた時期で、パルヴィーンに「私は何をしたらいいですか?」とたずねると、パルヴィーンは「私のアルバムを聴いて 」と答えたとか。

実際のところ、このアドバイスを受け入れて、アフタブがパルヴィーンのようにヴォーカルテクニックを駆使したパワフルなシンガーになることはおそらくないでしょうし、「影響を受けた」というより「憧れの存在」といった方が近いのかも。

ただ別にそれはそれでかまわないのだと思います。長く苦しいトレーニングで得られる技量を披露するのがインド・パキスタンの音楽では常ですけど、高度なテクニックを駆使した音楽ほど素晴らしいとか、そういう単純な話でもないですから。
アフタブはパルヴィーンのような歌に憧れつつも自分なりのやり方で音楽を試行錯誤しつつ作っているのですが、まさにそういった彼女の葛藤する姿こそが、このアルバムでは輝きを放っている理由なのだと思いますよね。

Love in Exile

アフタブは、ヴィジェイ・アイヤー(piano)とShahzad Ismaily(bass)によるトリオ「Love in Exile」でも活動を続けていて、こちらも注目ですね。
ちなみにヴィジェイ・アイヤーは南インドがルーツで、Ismailyはパキスタン系です(ふたりともアメリカ生まれではありますが)

ジャズの世界では、Rudresh Mahanthappa, Rez Abbasi, Rafiq Bhatia, Radja Swaminathanといったインド・パキスタン系のミュージシャン同士の共演も多く、なんというかコミュニティのつながりの強さを感じますね。
インド系とパキスタン系のルーツを持つミュージシャン同士が仲が良いところもちょっと不思議な気もしますけど。

「Love in Exile」はすでにアルバムを録音していて、リリースも予定されているということで、こちらのアルバムも楽しみですね。