カナダ人トランぺッター、ステフ・リチャーズ(Steph Richards)の新作『Zephyr』は、ピアニストのジョシュア・ホワイトと共演したデュオアルバム。
Relative Pitch Recordsからリリースということで、サブスクでは聴けません。
その代わりの公式YouTubeチャンネルの共演動画はこちら
ステフ・リチャーズの名前は今回初めて聴いたのですが、ニューヨークを拠点にヘンリー・スレッギル, ブッチ・モリス,ジョン・ゾーン、アンソニー・ブラクストンといった大物と共演してきたプレイヤーのようです。
自分が聴いたことのあるアルバムでは
Henry Threadgill 14 Or 15 Kestra: Agg 『Dirt… And More Dirt』
John Zorn 『There Is No More Firmament』
の2作で名前を見つけることができました。(2枚ともラージ・アンサンブルのアルバムなので忘れてしまっていましたが)
その後2018年に1stソロアルバム『Full Moon』をリリースし、今回の『Zephyr』は4枚目のアルバムということになります。
もともと『Zephyr』は2019年にレコーディングしたアルバムのようですが、パンデミックがありリリースが遅れていたようです。
リチャーズは現在では西海岸を拠点に活動しながら、カリフォルニア大学サンディエゴ校の講師を務めているようです。
共演のジョシュア・ホワイトは2011年のセロニアス・モンク・コンペティションで準優勝したプレイヤー。
彼はコンペ後は出身地であるサンディエゴに戻ってずっと地元ローカルで活動しています。ステフ・リチャーズとの共演はサンディエゴつながりですね。
彼は若いころには地元の教会でピアノ伴奏を弾くなど、あまり「音楽業界」みたいなものに興味なかったのかもしれないし、東海岸に移るのがイヤだったのかもしれないですね。(ちなみに同じ年のモンク・コンペで優勝したKris Bowersも地元カリフォルニアに戻って主に映画音楽などの活動をしているみたいです)
『Zephyr』
このアルバムは、「Sacred Sea」「Sequoia」「Northern Lights」という3つの組曲から構成されているアルバム。
ちょうどこのアルバム制作中に、リチャーズは第一子となる女の子を妊娠して6ヶ月半だったそうで、そのことがアルバムの大きなコンセプトになっているようです。
特に「Sacred Sea」というタイトルは母親の羊水のメタファーですし、「Anza」という生まれてくる娘をタイトルにした曲もあります。
全体的にポジティブで喜びに満ちたトーンのアルバムになっていますね。
彼女はもともと通常のトランペット奏法を拡張したテクニックを多用しているのですが、その中でも今回のアルバムではトランペット先端を水に浸して演奏するといったパフォーマンスを行っています。
これは子宮の中で呼吸する赤ちゃんをイメージしたものですね。
ステフ・リチャーズの演奏は「即興」がベースとなっているようけど、あまりインタープレイ要素は(彼女のこれまでのアルバムを聴いた限りは)あまりない感じ。
主役はあくまでリチャーズで、ジョシュア・ホワイトのピアノもあくまで「伴奏」しているという雰囲気です(プリペアドピアノ風の音を使って個性的ではありますけど)
即興の要素は基本的にはどんな音楽にもあるもの(クラシックもかつては即興ベースの音楽だったとかなんとか)ですが、即興演奏の捉え方はさまざま。
多くのジャズミュージシャンにとって「即興」は、音楽的にあざやかな表現を行うためのツールというか裏技として捉えているように聴こえますよね。即興で演奏することが目標でもないし、必要だったら楽譜をもとに演奏するし。
その反面、リチャーズは迷いなくずーっと即興での演奏を続けている気がして、その迷いのなさ、割り切り具合を聴いていると彼女にとっては即興で演奏することはスポーツのルールのようなものだと考えているんじゃないかという気がしますね。
サッカー選手が足だけでボールを蹴ることに疑問を持たないように、彼女にとって即興で演奏することは当然のこと、みたいな。
余談:アスファルト・オーケストラ
Bang on a Canのスピンオフとして、リチャーズが中心となって設立されたアスファルト・オーケストラというグループがあるのですが、こちらもなかなか楽しいグループですね。
金管楽器とパーカッションからなる12人編成のグループで、マーチングバンドのスタイルで、ビョークやメシュガー、ゴラン・ブレゴビッチなどの曲を演奏したりもしています。
あとピクシーズの『Surfer Rosa』をアルバム一枚まるまるカバーしたアルバムをリリースしたりとか。
カバー元のピクシーズを良く知らないのであまり魅力がわからなかったのですが、こういうのは「手の込んだ大掛かりなジョーク」としてニヤニヤしながら聴くのが正しいんでしょうね。
良くジャズミュージシャンがレディオヘッドの曲をカヴァーしたりしますが、ああいうのを聴いて「さすがの選曲センスだ」とか感心したりするのはピント外れだと思いますよ。