前回にこのブログでも書いた小山田圭吾さんのいじめについて、小山田氏のコラボレーターでもあった本田ゆかさんがSNSに投稿をされています。
1. 私が”Keigo is innocent”と書いたことからその日本語訳に関してロックさん(@yoaketricot)からご質問をいただきました。その文面に誠意が感じられたこと、そして私に説明の機会を与えて下さったことに感謝します。
長いスレッドですがお付き合いいただければ幸いです。
— Yuka C. Honda (@YukaCHonda) September 28, 2021
これは小山田さんが9月に発表したステートメントに対しての彼女のリプライの中に「I stand by him who is innocent.」という文章があり、その”innocent”の真意について問われた質問に対する回答として書かれています。
本田ゆかさんの投稿についてここでは中身を要約することはしません。
もしこのブログを読まれた方は全文読んでみることをおすすめします。
“innocent”の意味だけに留まらず、彼女自身の子ども時代のつらい体験もふまえた上で、いまの小山田さんへの考えを語ってくれています。
(わたしの前回ブログも含め)今回の小山田さんのステートメントに関して書かれた文章の中でも、最も読まれるべき文章ではないかと思っています。
本田ゆかさんがこの投稿をするに至った経緯については、私が書いたブログとtwitter投稿、そのリプライが元になっており、またその時の会話の相手に私が、「 ”innocent” の意味について疑問に思うなら直接尋ねた方が良い」と促したことが直接のきっかけとなっていました。
こういった経緯から、今回の本田ゆかさんの投稿についてスルーはできないと考え、思うところを今回ブログに書きました。
実際のところ、本田ゆかさんが私の書いたブログとtwitter投稿を見たのかはわかりません。
彼女へのリプライで前回ブログのURLが引用されていたので、もしかしたら読まれたのかもしれませんが、おそらく読まれていないのだと(今回のブログも本田ゆかさんご本人が目にすることはおそらく無いでしょう)
(後で少し書きますが)今回の件について本田ゆかさんと私では当然ながら意見を同じくする点もあれば異なる点もあります。
前回のブログを読み返しても中身について変えるべきと思う点はほぼないのですが、ただ、本田ゆかさんのように小山田さん本人を知る方にとっては内容や表現が強いストレスになることは十分に理解していますし、もし目に触れることがあったのであればそれは申し訳なかったと思います。
私個人は、小山田さんが過去にどんないじめを行ったにせよ「それはもう過去のことだしな」という思いはあります(twitterにもそう書きました)
小山田さんが辞任の際のステートメントで、いじめた事実と自らの加害について認めたことについては真摯な姿勢だったとも考えています(こちらもブログにそう書きました)
私がブログで書いた主な点は過去のいじめの話ではなく、9月のステートメントと雑誌インタビューを出した「現在の」小山田さんの振る舞いについてです。
その「現在の」振る舞いについて「最低だ」「悪質だ」と書いたのですが、その考えはいまでも変わりません。
オリンピック辞任の時に小山田さんは過去の行いをバッシングされましたが、今回のステートメントと雑誌(週刊文春)インタビューでそれがまた再燃し、多くのSNSやメディアから一斉に「言い訳がましい」「反省していない」「たった2ヶ月でやったことをチャラにしようとしている」といった意見が出ていました。
たしかに感情的な意見も多いですが、同じような印象を持った人がたくさんいたことは紛れもない事実です。
(私を含む)そういった反応する人に対して「彼はもう謝ったのに」「昔の話なのに」「何も知らない人が勝手なことを言うな」と説得しようとしても、それは無意味な話なのだろうと思います。
別に今回の件は刑事事件の事実認定をしようとしている訳でもないですし。
これはいじめという問題についての、もしくは過去に行った過ちについての謝罪する態度についての、人それぞれの意見なのですから。
先ほど書いたように、過去の、しかも子ども時代の過ちを今になってバッシングするのは不毛な行い、という意見には私も同意します。
ただ小山田さんの本意では無いとはいえ、「言い訳がましい」という反応がくるは想像できたはずですし、小山田さんがいまやるべきはそういった印象を与えるような発言ではなかったのだと思います。
とりわけ、当時いじめに苦しんだ小山田さんの同級生やいま現在世の中で苦しんでいるいじめ被害者にとっては、加害者側である小山田さんのそのような態度は耐えがたかったのではないかとも考えています。
「自身についての間違いを正したい」という気持ちがあったことは理解できますが、その発言が世間全体やいじめの被害者にどのように受け取られるか、と言った話を差し置いてまで出すべきステートメントだったとは思えません。
英文のステートメントについても同じです。
「英文のステートメントがまるでいじめ加害がなかったことのように書かれている」というのは、私が言いはじめた訳ではなく、英文ステートメントにもともとそういったリプライがいくつか付けられていました。
その後に自分でも原文を確認しましたが、誤解を生む文章だったと今でも思っています。
また、小山田さんの関係者とも言える人の発言が「言い訳がましい」という世間の印象を補強したことも確かです(そのため前回のブログのタイトルはあえて「平気でウソをつく人”たち”」と複数形にしました)
こういった関係者の発言も、それがもし小山田さんの意図しない内容であったのであれば小山田さん自身で訂正なりすべきだったのだと思います。
それは小山田さん本人であればできた話だと思いますし、彼はそれを怠ったのだと思っています。
いずれにしろ、彼がどのように世の中から受け入れられるかは(ステートメントといった形ではなく)彼の今後の行動にかかっているのだと考えています。
彼がその謝罪の気持ちを実際に行動に移していくことは本人にとっても社会全体にとっても意義あることだと思いますし、かつての同級生や、世の中のいじめ被害者もそのことを願っているのだと私は思っています。