少し前の話になりますが、音楽レビューサイトのPitchforkが男性向けファッション誌のGQに統合されるというニュースが報道されてました。
今日はその話題
Pitchforkは、1996年にアメリカ中西部のレコード店で働くライアン・シュライバーがインディーズ音楽ブログとして立ち上げたウェブサイトに端を発します。
1996年と言えばアラニス・モリセットが「Jagged Little Pill」 を、スマッシング・パンプキンズが「メロンコリーそして終りのない悲しみ」をリリースした年ですね
優れたライターや編集者によるメジャー誌とは違う視点によって書かれたレビューにより、多くのオルタナティブなミュージシャンを発掘し、21世紀以降の最も信頼されるメディアのひとつへと発展してきました。
(昔はわかりませんが、今では「Pitchforkの書くことは話半分に聞いとけ」みたいな感じであまり信頼されてはいないメディアみたいですがが。採点のおかしさも良くネタにされたりしますし。日本でいうロキノンみたいな感じ?)
そんな音楽ファンの声を代弁してきたメディアが、男性向けファッション誌に統合されるというニュースは、音楽業界の苦境の象徴的な話として大きく取り上げられていました。
音楽ジャーナリズムが置かれてきたこうした苦境の原因は、以下の問いかけに集約されるんじゃないでしょうか?
多くの人が音楽の発見を音楽ジャーナリズムの主要な機能だと考えているのなら、SNS上にあふれる多くのおすすめをチェックしたり、人気のプレイリストで15秒間の曲を再生することでお気に入りのアーティストを見つけることができるいま、音楽について洞察力のあるレビューを書くメディアの役割は何なのだろうか?
要するに、レビューを読む時間があるならその時間で音源を聴いた方がずっと良い、とほとんどのリスナーは考えたということです。
Pitchforkのレイオフは、規模としては約半減といったところでしょうか。
10人の編集スタッフがレイオフされ、8人の編集部員が残ったそうです。(トータルで少なくとも12人のスタッフがレイオフされる)
ここ数年の音楽業界で頻繁に行われてきた「運営がギリギリできるまで人員カットする」タイプのレイオフのようです。
SNS時代における音楽ビジネスの厳しさ、大手に飲み込まれる立ち位置を失うインディーズメディア
あまり心躍る話題ではないですね。
NME誌やQ誌が書店から消えてから久しいですが、もはやwebメディアという形ですら、音楽ジャーナリズムは立ち行かなくなっているということかもしれません。
とはいえ、実はPitchfork自体は2015年にすでにGQの親会社であるコンデナスト社に売却されていたみたいなのですけどね。
この時に創業者のライアン・シュライバーが運営から離れるなど、世間が思い描いていたようなPitchforkの姿、Pitchforkが体現していた音楽ジャーナリズムの姿というものは、事実上2015年で終わっていたと考えても良いかもしれません。
今回のPitchforkのGQへの統合に関する記事をいくつか読んでも「音楽批評は必要か否か」といったニュアンスの記事はほとんどありませんでしたね。
もはや「音楽批評は必要か」という問いは過去のもので、多くの記事ではまるで「音楽批評がなくなった2015年以降のアフターワールド」について書かれているかのようです。
実際のところ、2015年を境にPitchforkが取り上げるアルバムの傾向や質がガラッと変わった訳じゃないとは思うのですけどね。
それはおそらく今回のGQへ統合した後でも同じだと思います。
ただブランドというかメディアに対する信頼をもとにPitchforkを選んでいた音楽リスナーにとっては、その信頼が揺らぐには十分な出来事だったのだろうと思います。
少し話はそれますが、2015年の売却後にPitchforkの経営陣のほとんどは女性になっていたようですね。
編集者のプジャ・パテル、エグゼクティブ・エディターのエイミー・フィリップス、特集担当のジル・メイプスなどなど。
音楽消費者はどちらかというと男性が多いわけですが、これはどういう理由だったのですかね?
身売りされたあとにコンデナストの重役が
「ちょっとなにこれPitchforkって男性読者ばっかりじゃない。経営陣に女性陣を入れてもっと女性読者を増やしてちょうだい」
と号令でもかかったんでしょうか?
ともあれそうした女性からなる経営陣も、今回GQ誌への統合でほとんどがレイオフ・解雇されてしまったそうです。
コンデナスト社はUS版『VOGUE』も保有しているのですが、この解雇に関しては、『VOGUE』編集長で「プラダを着た悪魔」のモデルになったあのアナ・ウィンターが、彼女たち経営陣に直々にメールで解雇を伝えたとか。
(当時の様子がPitchfork経営陣からリークされているのですが、解雇を伝える時もアナ・ウィンターはトレードマークのサングラスを外さなかったとかなんとか、、)
こういうエピソードも、こういうファッション業界とかに詳しい人には興味深いのかもしれないですけど。
2024年にはBandcampの従業員のレイオフも話題になったのですが、Bandcampの例と違って現在のPitchfork経営陣はハイ・エグゼクティブであり、そんな人々の栄光と転落みたいな話には、正直あまりシンパシーは感じないかなー。
いずれにしても、今回のGQへの再編については世間の反応も冷ややかなようにも感じました。
ちょうど直後のグラミー賞の授賞式があったのですが、テイラー・スウィウトでも誰でも良いですが、グラミー賞の授賞式に参加したミュージシャンから「音楽ジャーナリズムの危機だ」といったような声があがることもありませんでした。
Pitchfork無きアフターワールド
結局のところ、音楽の好みというのは人それぞれであり、ニッチなものです。
音楽の好みがニッチなものである以上、音楽を扱った事業やメディアが採算が取れなく・取りづらくなるのはある意味では必然とも言えます。
かつてのPitchforkのように数人の編集者によるアルバムセレクションを世間のみんなが読む、みたいな幸福な時代はもう訪れない。
じゃあ音楽メディアが、テイラー・スウィフトやBTSのようなアーティストの音楽や(ゴシップを含む)話題なんかを取り上げたとして、それはもう音楽ジャーナリズムとは呼べないわけで。
採算が合わないために、たとえばBandcampが自社のサイトで続けているBandcampデイリーのように、音楽ジャーナリズムはそれ単独ではなく何かに付随する形になるのだと思います。
Pitchforkに関しても、受け入れ先がたまたまGQだったというだけで、Bandcampと同じ話だと思います。
もし音楽ジャーナリストが独立して自分の仕事を成り立たせるならポッドキャストやYouTubeチェンネルのような自身のメディアを運営することくらいかな。
海外ではやっていけてる人もいそうだけど、日本にはあまりいないのかも。
「SNSさえあればもう音楽ジャーナリストなんていらない」という人もいると思いますが、音楽を探すツールという点に限ると、紙雑誌よりはマシかもしれませんが、SNSはむしろ使いづらいツールなんじゃないかとも思います。
日本ならミュージックマガジンやロッキンオンを熱心に読んでいるリスナーの人たちってたいていみんな同じようなアーティストを聴くようになっちゃってますよね。
それはSNSも同じで、どうしてもフォローしている人の発信がより目につくし、そうすると音楽の傾向も偏ってくるわけですし。
じゃあどんどんフォロイーを増やしたり入れ替えたりすれば良いかというと、そんなことするととたんにSNSとして使いづらくなります
それにSNS上にはフォローしていない人の興味深いアルバムレビューもたくさんあると思うのですが、そういうものってなかなか拡散されてこないですよね。
アルバムレビューなどはそのアーティストに興味ある人向けのニッチな話題だし、SNSはニッチな話題はあまり目につかない仕様になってるから。
SNSでは、良質なアルバムのレビューよりも「#90年代ベストアルバム」みたいな企画の方が「盛り上がる」し、より拡散されるわけです。
そんなSNSではなく、いまでは音楽ジャーナリストによるセレクションではなくアプリのアルゴリズムによるレコメンド機能を使っている人もいるかもしれません。
あと数年経てば、「オッケー、グーグル、次の曲を選んで」と言えば、TPOに合わせて「夢のようにぴったりな曲」を選んでくれるようになるかもしれません。
サブスクなどのレコメンド機能は、傾向の似た音楽ばかりをおススメするとリスナーは飽きてくるため、少しポイントを外したお気に入り音楽を提案することを目指しているようです。
ポイントを外しすぎるとリスナーの嗜好に合わないので、そこの加減が大事だと。
まさにそこが、リスナーひとりひとりの好みを知らない音楽ジャーナリストやSNSにはできない点であり、アドバンテージなのだろうと思います。
ただ、(わたしはApple Musicを使っていて)わりと優秀なアルゴリズムと思いますが、レコメンド機能で全てをまかなうことは難しいですね。
では、音楽ジャーナリズムが2015年に死んだあと、レコメンド機能も不完全ないま、わたしたち音楽リスナーはいったい何をよりどころに音楽を聴けば良いんでしょうね?
もうwebやSNSで目についたアーティスト、アルバムをひたすら検索窓にコピーして試聴するしかないのかもしれません。
将来、自分の子どもや孫たちに
「そんな面倒くさいことして音楽聴いてたの?」
と、あきれられることになるかもしれないですが。