前回につづき、サカナクションの『NFパンチ』の動画を見てみましたので、その感想です。
テーマ:「音楽批評は必要か」
「音楽批評は必要か」というテーマにまず最初に参加者みんなに意見を訊いていくのですが、ここでも賛否両論というより司会者含めほぼ参加者全員「音楽批評は必要」という意見のようです。
前回感想を書いた「CDは必要か」というテーマについてもほとんどみんな「CDは必要」という意見で、それは理解できる面もあったんです。
でも、今回のようにみんながみんな「音楽批評は必要」と言い切られると、さすがに「世間とずれてるなぁ」という印象を持っちゃいませんか?
参加者の意見をラフにまとめると
「批評があることでミュージシャン自身も知らなかった音楽の価値が明らかになる」
ということのよう
この理由って絵画や文学などの批評について言われる内容で、それはそれで正しいと思うのですけど、こと音楽に関しては当てはまらないんじゃないかなと思っています。
たとえば番組内でも話がでていたように、もっと身近なアニメや映画では、音楽よりももっと活発に批評(批判と評価)がされていると思います。
これは、たとえば「画のきれいさ」とか「ストーリーの斬新さ」とか、個人の印象だけじゃない共通のものさしがあるからだと思います。
その点、音楽の良し悪しは突き詰めると「個人の好き嫌い」でしかなく、共通の基準が無いですよね。批評は「ただのその人の印象」になってしまいます。
たとえば、お笑いとか漫才とかといっしょと考えるとわかりやすいと思います。
ある漫才コンビがいたとして、どれだけ他の人が彼らを「面白い」「最高」と言ったとしても、言われた本人が笑えなければ意味ないですよね。
番組内では「アートには批評も必要」という話をして、「だとしたら音楽もアートなのだから当然批評は必要ですよね」というロジックを使っているようです。
パッと聞いた感じは納得できるロジックなのですが、ちょっと強引な話でしょうね。
じゃあ音楽雑誌だったら必要なのか
かつては日本もロックやハードロック・ヘビメタなど、ジャンルごとの音楽雑誌がたくさんあったようです。
雑誌が音楽批評家の方たちの主戦場だったんでしょうね。
インターネットの無い時代、新譜の紹介やミュージシャンのインタビューなどの音楽ファンが知りたい情報を得るには雑誌しか手段が無かったのだと思います。。
音楽批評は音楽ファンがどうしても知りたい情報についてくる「おまけの読み物」じゃなかったのかな?
最近になって音楽ファンが知りたい情報をネットやSNS経由で(時にはミュージシャン自身から)入手できるようになると、徐々に音楽雑誌のニーズも下がり、それにつれて音楽批評も必要とされなくなったのだと思います。
新譜紹介やインタビューなどの情報は紙媒体からネットにスライドしていったのだと思いますが、「音楽批評」はネット上で「不要」の烙印を押されて、行き場を失ってしまったのだと思います。
批評なのか宣伝なのか
「日本の音楽雑誌では広告主に配慮して自由に批評できない」ということは「NFパンチ」の中でも指摘されていたのですが、これはまさにその通りでしょう。
番組内では『これはもう由々しき事態で、なんとかしなければ手遅れになる』といった論調だったのですが、正直もう手遅れだし、なんとか自浄作用が働く前にすっかり淘汰されてしまった形でしょう。
正直な話、「批評なのかプロモート目的の文章なのか良くわからない文章よりも、同じ音楽趣味の人から自分の好みに合った音楽を紹介してもらったり、ネットの閲覧履歴からAIにおすすめしてもらった方がずっと良い音楽に出会えるし」
が、ほとんどの音楽ファンの偽らざる気持ちでしょう
いまさら音楽批評は必要かという議論は必要か
結論:音楽批評は特に必要ない
音楽批評は必要かについては結論はもう出ているのだと思います。
『NFパンチ』の議論では「批評が必要かどうか」に終始して、現実的には「音楽批評がもう不要とされている現実」からみんな目をそむけているように思います。批評家の鹿野さんに遠慮してるのかな?
この番組を見て強く感じるのは、音楽批評を必要と感じているのは「かつての音楽批評家」と「音楽批評家になりたい人」だけなんだな、と思います。
そんなニッチな人たちを集めてニッチな意見をまとめちゃってどうするつもりかな、という印象です。
ただここまで書いて改めて読み直してみると、ここまで音楽批評家に批判的だと何か個人的な恨みでもあるかと思われる人もいるのかもしれないですね。
あくまで個人的な意見なので気を悪くしないでください。