最近Webでアルバムを見かけて「オッ、これは!」と思った、エジプト在住のミュージシャン・作曲家の、モーリス・ルーカ(Maurice Louca)の新譜『Saet El-Hazz』について
ルーカについては今回はじめて名前を聞いたのですが、かつてはBikya, Alif, Dwarves of East Agouzaといったグループを率いており、2010年代からはソロアルバムやさまざまなコラボアルバムをリリースしてきたエジプト・インディーシーンの中心人物とのこと。
彼のこれまでのキャリアを俯瞰してみると、アラブ音楽、シャアビ、サイケ・ロック、エレクトリック、エクスペリメンタル、フリージャズ、と様々なジャンルの音楽を作り続けてきたことがわかるのですが、彼の活動をおおまかに分けると以下のような変遷をたどっているようです。
まずキャリア初期の、ライブハウスも圧倒的に少なく、西洋音楽を演奏するミュージシャンも皆無エジプトのインディーシーンで、ひとりDIYっぽい手作りのエレクトロサウンドとシャアビなどエスニック要素をミックスさせた音楽を作っていた時期(2014年の『Benhayyi Al-Baghbaghan (Salute the Parrot)』など)
2010年代、アラブの春やネット革命によるエジプトの音楽産業の変化から、活動の幅を広くアラブ世界全体に広げ生楽器を演奏するアラブ世界のミさまざまなュージシャンとコラボを行い、よりスケールアップした音作りを行った時期(Maryam SalehやTamer Abu Ghazalahらと共作した2017年アルバム『Lekhfa』など)
サン・ラーやオーネット・コールマンに夢中になり、ベルギーのSub Rosa/ニューヨークのNorthern Spyという欧米のレーベルと契約しフリージャズを指向することで、いっきに欧米のリスナーを増やすと同時にアラブ世界の音楽ファンからは不評をくらった時期(2019年『Elephantine』)
とまあ、ここまでさまざまな変遷を経て雑多なアルバムを作ってきたミュージシャンもなかなかいないかもしれません。
ただインタビューなどを読むと、そういうジャンルレスな方向性はアーティストとしての創作意欲からというよりは、彼をとりまくその時々の状況から必要に迫られてといった方が正しいように思います。
TPOやリスナーの好みを強く意識しながらも、音楽的な独自性をうまく作品に織り交ぜている印象です。
Saet El-Hazz(The Luck Hour)
そんなモーリス・ルーカの新作『Saet El-Hazz』ですが、これまた過去のどのアルバムとも似つかわしくないアルバムを作成したようです。
ジャンルでいうとエクスペリメンタルになるのかもしれないですが、アンビエントっぽい不吉なドローン音に、SE的に使われる金属の擦れ合う音などのノイズ/環境音、そこに深くリバーブのかかったガムランやギターなどが絡む作品です。
例えるなら「ストイックに作風を変えたマトモス」とか?まあでもかなりオリジナルな作品だと思います。
『Saet El-Hazz』が作られる最初のきっかけは、トランペットのMazen Kerbaj、ギターのSharif Sehnaoui、コントラバスのRaed Yassinの3人で構成されるレバノンの即興グループ「A」トリオとコラボレーションしたいというルーカの希望だったそうです。
ちょうど同じタイミングで(Sub Rosaつながりで)ブリュッセルにある芸術団体Mophradatからの音楽制作の依頼が来たことで、「A」トリオと共作による『Saet El-Hazz』をレコーディングすることになったとのこと。
Mophradatからの依頼内容は、微分音を演奏できるように改造した楽器を使って新しい曲を演奏するというもの。
結果としてルーカはイスタンブールで微分音を演奏できるようにギターをカスタムメイドし、またインドネシアではセラン(ガムラン打楽器の一種であるインドネシアの木琴)をチューニングしたそうです。
こういった、マーケティングベースのアルバムとは違う制作スタイルが、このアルバムのオリジナリティを生み出すことに一役買っているようです。
アルバムタイトルの『Saet El-Hazz』は「The Luck Hour = 幸福な時間」という意味があるそうで、アルバム制作時のルーカの気分を反映しているのかもしれません。
前作『Elephantine』は、ダウンビート誌に取り上げられるなどけっこう話題になったようですけど、今作はそれに比べるとあまり盛り上がっていない気はするのですが、後々になって彼のキャリアを振り返ってみると「Saet El-Hazzが最高傑作だったね」と言われるかもしれない、とは思うのですけどね。