先日、Pitchforkの記事で「The Secret Gay History of Indie Rock」というタイトルの記事が公開されていました。
ここではこの記事の内容には触れないのですが、インディー・ロックというジャンルの中で、LGBTの人たちがどのように自身のジェンダーについてアクションを起こしてきたかについてまとめた記事です。
2023年は、LGBT法が制定されるなど世間的にもLGBTという単語を良く耳にした年でした。
また(世間的にはまったく話題にならなかったですけど) シガー・ロスが新作アルバムのジャケットでレインボーを燃やすなど印象的な出来事もあったり。
このブログを書いている途中に、ryuchellさんのニュースなども入ってきました。
こういう話題があると、ふと思うのは「ジャズ界でLGBTの人たちはどんな存在だったんだろう?」という疑問。
※わたしはワールド系の音楽も良く聴くのですが、ワールド系ミュージシャンと言ってしまうと、それぞれの国、宗教など状況の違いが大きすぎて一般的な話はできなさそうです。
ふだん、ジャズ界でLGBTについての話題があがることはほぼ無いですよね。
LGBTについて書かれた曲を演奏することもあまりないし、ステージ上のミュージシャンが(エルトン・ジョン)のような出で立ちで演奏するわけでもないし。
そう思って少し調べたのですが、「LGBTとジャズ」という話題について書かれたweb記事などはあまりないんですよね。
まとまった形で読める記事は、2020年のJazzTimes誌の記事「Homophobia in Jazz(ジャズ界のホモ嫌悪)」があったくらいです。
ストレイト・ジャズ
ジャズの世界は、「アメリカでは」と限定すると、ミュージシャンはほぼ全員が民主党支持でリベラルで、アメリカ社会全体と比べるととLGBTには寛容な気もします。
2023年の現在はともかく、かつてのビバップの時代から、ジャズの世界は基本的にはマッチョな世界だったのは間違いないんじゃないでしょうか。
「”本物のジャズ”は”本物の男”が演奏する音楽だ」「一流のソロを吹くにはテストステロンが必要」みたいなノリ。
西海岸のウェストコースト・ジャズが話題になった当時、ホレス・シルヴァーは1956年のダウンビートのインタビューで「ホモ・タイプのジャズ、つまりガッツのないジャズには耐えられない」と答えたとか。
またチェット・ベイカーのヴォーカルのヴォーカルを聴いて「女の子みたいだ」とバカにしたり「”faggot(ホモ野郎)”」と呼んだりもされたそうです※チェット・ベイカーはゲイじゃないです。
そんな中でも、ジャズの黎明期から、数多くのLGBTのミュージシャンや作曲家が活躍してきました。
たとえば、ジャズスタンダートを多く書いた作曲家のコール・ポーターや作詞家のロレンツ・ハート、「Take the A Train」「Lush Life」などで知られデューク・エリントンの共作パートナーであったビリー・ストレイホーン、バイセクシャルであったビリー・ホリデイ、ベッシー・スミス、カーメン・マクレー、ジャズヴァイオリンのステファン・グラッペリなどなど、例をあげると長い長いリストができます。
ここであげたミュージシャンたちが活躍した時代は、LGBTであることを(身近な人を除いて)オープンにはできなかった時代でした(グラッペリなどは恋人と普通に出歩いていたそうですが。ヨーロッパだから?)
それでも彼ら・彼女らは、少なくともジャズ界から追い出されることなく、偉大な功績を残してきたわけです。
こうした時代にLGBTの人たちがどういう立場にいたかは、いまとは時代が違いすぎていまいち良くわからないところですね。
トロンボーン奏者のボブ・ブルックマイヤーはコミュニティサイト上で「人種差別に比べれば、反ゲイの偏見などたいした意味を持たない」と発言してバッシングを受け、後に撤回させられたのですが、アフリカ系のジャズミュージシャンにとっては、人種差別の方がより脅威であり避けられない問題だったということはいえるのかもしれません。
ゲイリー・バートン、フレッド・ハーシュ
公にLGBTであることをカミングアウトしたミュージシャンとしては、ゲイリー・バートンとフレッド・ハーシュが最も有名です。
ヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンは、80年代までゲイであることを公言していませんでしたが(彼は既婚で二児の父でもありました)、ある日ボストンのゲイクラブにデートの相手を連れて行った時にバークリーの教授陣と出くわしたそうです。
そのため彼はカミングアウトするか決断を迫られバンドメンバーに真実を打ち明けたが、ほとんどのメンバーはすでに知っていたとか。
1994年、彼はNPRでのインタビューという形で公の場でカミングアウトをしました。2013年に長年のパートナーであるジョナサン・チョンと結婚しました。
ピアニストのフレッド・ハーシュは、1993年に地元シンシナティで開催されたAIDS Volunteers of Cincinnatiの慈善公演で、自身がHIVに感染しているゲイであることをカミングアウトしました。その後も、活発にLGBTに関する活動を行い、ジャズ界のLGBTに対する姿勢にかなり辛辣な批判を行ってきました。
彼はカミングアウトした当時のことを後のインタビューでこのように語っています。
「当時はカミングアウトすることを周りから止められたよ。まだカクテル(複合の抗HIV薬)が出回る前でHIV感染はまるで死刑宣告みたいなものだったから。周りからはすぐに死んでしまうと思われて誰も君をブッキングしなくなるだろうから、君の演奏家としてのキャリアも終わるぞ、とも言われた」
「それから21年後、私はピアニストとしてまだここにいて、まだゲイで、まだこのことについて話し続けている。どうせ死ぬなら、何かを変えたいと思ったんだ」
80年代90年代にハーシュやバートンはLGBTであることを公言したのですが、ハーシュはHIV感染によって、バートンはアクシデントによって、どちらも自分の意に反してカミングアウトすることになったとも言えます。
この時点では、まだ自らカミングアウトという選択をする人はまだ少なかったのかも。
ちなみに2020年に亡くなった評論家のスタンリー・クラウチは、ピアニストのセシル・テイラーのアルバムを批判する中で、彼がゲイであることをアウティングするという出来事もあったようですが、ひどい話です。
OutBeat: America’s first LGBT Jazz Festival
21世紀にもなると、ポリティカル・コレクトネス的な意識から、良識のある人が表立って誰かを “faggot(ホモ) “と呼ぶことはなくなったかもしれません。
2019年の9月になると、フィラデルフィアでアメリカ初のLGBTジャズ・フェスティバル「アウトビート」が開催されてました(自分は今回初めて知ったのですが)
ドラマーのビル・スチュワート、同じくドラマーのテリ・リン・キャリントン、歌手でピアニストのパトリシア・バーバー、そしてフレッド・ハーシュなどのLGBTのミュージシャンによるライブや、自身の体験などを語るパネルディスカッションが行われたそうです(ディスカッションにはディアンジェロも登壇したとか)
ちなみに、フィラデルフィアは別名をCity of Brotherly Love(兄弟愛の街)というそうで、LGBT運動のひとつのアイコンとなっている都市だそうです。
ゲイでHIV患者を演じたトム・ハンクスと、彼の弁護士となったデンゼル・ワシントンが主演した映画『フィラデルフィア』が、この街を舞台としたのも同じ理由ですね。
LGBT in Jazz
ここまでジャズの世界のLGBTの人たちについて書きましたが、ここでは「ジャズ界はLGBTに対して〇〇だ」みたいな、なにかジャッジをしたいわけではありません。
ジャズ以外の世界、たとえばスポーツ界、映画界、もっと身近な自分の住んでるコミュニティ、職場などでも、おなじようにひと握りの人たちがカミングアウトして声をあげ、紆余曲折や葛藤があって今に至っているんだと思います。
今回いろんなweb記事を読んで感じたのは、ジャズの世界も別に特別なわけではなく、ネガティブな面も含めてその当時の人たちの生き様をそのまま映し出しているということです。
今回のブログも「ジャズの世界ではこういう人たちがいて、こういうこともあったんだな」という備忘録のようなものと考えて貰えば良いかも。
ただ正直なところ、こういった話題は「ゴシップ」のように受け取られてしまいそう、という心配もあります。
けっこうな数の個人名をあげていますが、「〇〇は実はLGBTだった」みたいなアウティングしたかった訳ではないのですけどね。
実際のところ、過去のweb記事を検索しているとLGBTに関する疑惑レベルの話などもかなり出てきます(レスター・ヤングのゲイ疑惑に関係者が反論するエピソードなど)
その他にも(サックス奏者の)ティナ・ブルックスについて「本名はハロルド・ブルックスなのに、どうして”ティナ”なんて女性名を名乗ってるんだ?」みたいな思いつきレベルの話まで。
またデリケートな問題でもあるため、文章中の表現などで気に障る点があれば申し訳ないです。
それでも、こうやって昔からいままでジャズの世界で起こった出来事を眺めてみると、(それは控えめで緩慢な動きだったのかもしれませんが)LGBTの人たちを取り巻く状況は以前よりは良くなり、そのことで少しでも世界が良い方向へ進んでいるように感じれられ、勇気づけられます。
それでは皆さん ハッピー・プライド!(Happy Pride Everyone!)