今日のブログもほぼ日記のようなもの。最近はこのブログはネットサーフィンをしていてもやもやしてることを書くことが多くなってしまいましたね。
小山田圭吾氏のいじめ問題が再び注目を浴びているようで、今回はその話題。
まず前提として、わたしは小山田氏の音楽はほぼ聴いたことがないし、特に思い入れはないです。
なんとなく「えらそうな人だな」というネガティブなイメージはありましたけど、あまりしゃべっているところなども見たことないので「よく知らない人」という印象でした。
ブログを書くにあたって、過去の雑誌の文章や最近発売された週刊文春など、アクセスできる情報についてはひと通り目を通したのですが、その上での印象は
「あー、小山田氏って控えめに言って最低だな」
ということ。
これまでの経緯
ここはみんな知っているとは思うので簡単に。
小山田圭吾氏といえば、2021年7月15日にオリンピック開会式の作曲メンバーに名を連ねることが発表された後に、『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』に載ったいじめ自慢が再び掘り起こされたしまい、炎上。
当初は「最後まで尽力していきたい」と続投の意欲を見せていたのですが批判は収まらず、それから4日後の7月19日に辞任を発表しました。
小山田氏のいじめについてはどうも過去からネットではたびたび話題になっていたようで、小山田氏のファンであれば常識と言って良い話だったようです(それもどうかと思いますけど)
自分も辞任のニュースが流れた時に当時の雑誌のキャプチャ画を読んで「えー、小山田さんってこんな人だったんだ。そりゃオリパラ担当なんてできないよね」という感想を持ったことを憶えています。
ワイドショーのニュースにもなり世間のバッシングも激しかったですけど、それも当然かな、と。
で、オリパラも無事終わりこの件も話題にあがらなくなっていたのですが、辞任騒動から2ヶ月も近く経った9月に、小山田氏が週刊文春のインタビューを受け、また9月17日にSNSにステートメントを載せたことから再びこの話題がクローズアップされました。
Webサイトへが繋がりにくくなっているため、画像にてこちらへ再掲します pic.twitter.com/3Ii0fsdNPm
— Cornelius Info (@cornelius_news) September 18, 2021
雑誌で必死に言い訳するアーティスト
9月のステートメントを出したという話を聞き、もう辞任したのにいまさらなに?と思ったのですが、どうも
「雑誌に書かれていたいじめの内容については自分が行ったものじゃないものも多い」
ということを言いたかったようです。
具体的には
「排泄物を食べさせた」「自慰行為をさせた」などは自分がやったことじゃない。
「障がいがあることを理由に陰惨な暴力行為を長年に渡って続けた」という事実はない。
小学生時代のダンボール箱の中で黒板消しの粉をかけるなどは行った。
障がいのあるクラスメートは、高校で再会したあとは会話をする機会も増え、友人だったと思う。
と言った内容が語られています。
言葉の端々に
「いじめと言っても小さい時の話だし」「実際はそこまでひどいことしていないし」「いじめている認識も希薄だったし」というようなニュアンスがにじみ出ていて、言い訳がましいんですよね。
実際のところ、小山田氏がどんないじめを行っていたかについては今となっては証明しようがありません。(いじめられた同級生に取材を試みたそうですが断られたそうです。そりゃそうだろ)
どんないじめがあったのか(なかったのか)は、それぞれ手持ちの情報から「推測」するしかないんです。
その場合「どういった推測だといちばんつじつまがあってるか」と普通は考えますよね。さすがに本人が語っているから真実なのだろう、なんて考えられないんですよ。
実際にこの小山田氏のステートメントに対しても、過去の雑誌記事内容との整合性を問われて
「いや、中学・高校になっても障がい者のズボン脱がして歩かせたりずっといじめてただろ」
「自分がいじめのアイデアを出してたって書いてたよね?それってもう加害者って言っていいんじゃない?自分の手を汚さない分より悪質じゃない?」
「年賀状を晒して笑い者にしておいて友人ヅラかよ」
という怒涛のツッコミも入っていて、「確かにそりゃそうだな」とも思うわけです。
平気でウソをつく
小山田氏が9月に出したステートメントを読んでみると、全体的に言い訳がましいという他に、ずいぶん7月の辞任時に出したステートメントと変わってるな、とも思ったんですよね。
具体的には7月16日のオリンピック辞任時のステートメントでは、いじめた障がい者の同級生に対して
「学校生活において、良い友人にならず、それどころか傷つける立場になってしまった」
「クラスメイトを傷つけたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じていた」
と書いているんですよね。
このステートメントは当時読んでいて(雑誌の原文と比べても)特に違和感はなかったのですが、それがたった2ヶ月で「いじめていた訳じゃない」「彼とは友達だった」みたいに手のひらを返したようなステートメントに変わっていて、ちょっとびっくりです。
やっぱりこの期に及んでいちばん被害が少なくなる文言を探しているから、こういう矛盾したいびつなステートメントになるんですよ。ありのままを正直に話す気なんてさらさらないんだなって思います。やっぱり最低なんだな、と。
でもそう思わない人もたくさんいて、この9月のステートメントを読んで「誠実で真摯な文章だった」「涙が出てきました」「今はゆっくり休んでください」「またあなたの音楽を待っています」みたいなノリのリプライが大量にあふれていて、ちょっとなに言ってるか意味不明でしたし、見ていて不気味ではありました。
なにかbotかアルバイトでも雇って書かせたんじゃないかと疑ってしまいましたよ。
真摯というなら、わたしには7月の辞任時のステートメントの方がずっと真摯だと思いましたけどね。辞任時のステートメントは小山田氏が自分の加害を全面的に認めているだけなので、あまりみんなのお好みじゃなかったってことでしょうか。
真摯ってなによ?長くてエモい文章だったら真摯なの?
逆ギレで物ごとをチャラにしようとする人たち
また、9月のステートメントでは「暴力行為を長年に渡って続けたという誤った情報が流布された」ということを言っているのですが、これは「孤立無援のブログ」というブログのことを指しているようです。今回のブログを書く前に初めて知りました。
このブログは2006年に「ロッキング・オン・ジャパン」と「クイック・ジャパン」の過去記事を抜粋・引用して書かれ、当時の小山田氏の悪行を非難している内容になっています(現時点でブログで原文は読めません)
で、最近になってこのブログについて「小山田さんに悪い印象を持つように、意図的に原文を改ざんした」「この改ざんされたブログの内容が世界中に広まってしまった」「責任とれ」という主張をしている人がたくさんいるみたいなんです。
このブログが原文をどういう風に改ざんしたかというと、例えば小山田さんといじめられた側の同級生が実は仲が良かったという事実がブログでは意図的にかくされている、彼の思いやりのある一面が書かれた部分をわざと削除している、ということらしいです。
北尾修一さんという元クイック・ジャパン編集部の人が書いた「いじめ紀行を再読して考えたこと」というweb記事(今は読めない)もこういう論調ですし、小山田氏が週間文春で取材を受けた際のインタビュアーの方もtwitterで指摘していました。
小山田氏をめぐる過去の雑誌での発言のソースは、Twitter上で拡散された「孤立無援のブログ」という小山田氏の発言のまとめサイトです。当該雑誌を入手し点検すると端々の文言が勝手に書き換えられている、実に恣意的な編集だと私は思いました。
— 中原一歩 (@ipponakahara) September 15, 2021
ただこの展開をみると「ああ、誰かがストーリーを書いて犬笛を吹いたんだな」という印象を持ちましたよ。
つまり、小山田氏を擁護する論調を
「今までネットに出回っていた情報は悪意を持って改ざんされたウソばかり」
「私たちは騙されていた」
「雑誌の原文を読んで印象がすっかり変わった。思ってたようなひどいことはしてなかった」
と、こういう方向に持っていこうとしているみたいです。
そしてその改ざんの分かりやすい事例としてこの「孤立無援のブログ」を標的にしたという状況のようです。
実際に小山田氏が9月になってアップしたステートメントの後には
「批判する人は悪意あるブログじゃなくて原文を全部ちゃんと読んで」
というコメントを付けた人がすごくたくさんいたのですよね。
小山田さんが9月に発表したステートメントも同時期に発売された文春のインタビューも、明らかにこの「孤立無援のブログ」を念頭において話をしていることから、小山田氏自身もこの犬笛に積極的に関わっているんだな、と思うわけです。
そういう思惑が透けて見えるところも、小山田氏が「やっぱり最低だな」と思う理由なんですよね。
「孤立無援のブログ」に書かれている「暴力行為を長年に渡って続けた」というのは確かにフェイクかもしれませんが、それは雑誌記事を読めばわかる話ですし、雑誌記事に書かれているいじめ全体からすると些末な事実誤認だと思います。
小山田氏といじめ被害者が実は仲良かったという話もさすがに強引な話です。インタビュー断られてるじゃん。
わたしは雑誌記事を読んだ後にこのブログを読みましたけど、特に小山田氏への印象は変わりませんでしたよ。
「ネットの情報は悪意を持って改竄された」というストーリーは強引でムリ筋な話なのですけど、でもまあ中には信じちゃう人もいるんです。そういう人が「真摯なステートメントありがとうございます」なんて書き込んじゃう。
みんな雑誌記事全文をチェックする訳じゃないですしね。ほとんどの人はSNS上の意見をザッピングするだけ。
「小山田さんは指示しただけ」「彼にはいじめという自覚すらなかった」「記事には自分で手を下したなんてどこにも書いていないし」「友達とは仲良くしたって書いてるじゃないか」といった「解釈」が次々に出てくると
「さすがにいじめはやったみたい。なんかよくわからないけどそんな悪質ないじめじゃないらしい。真摯に反省しているし」
という印象を持つ人がたくさんいるんだと思いますね。
そういう意味ではどんな荒唐無稽な言い訳でも言ったもの勝ちなのかも。
うまいことやるよね。
海外向けにさらにウソに拍車がかかる小山田氏
小山田氏が9月に出したステートメントについてもう1点(ブログを書いた後に気づいたのですがどうしても言いたいので追加)
日本国内向けに日本語で出したステートメントと、海外向けに英語で出したステートメントと、中身を読んでみると全然違っているんですよね。同時に出されたステートメントだし日本語を英訳したものだろうと思っていたのですが。
その違いというのもディテールの違いとかそういうレベルではなくて、英語版では「いじめは全くやっていない」「自分は潔白」「ただ雑誌で喋ったことは反省している」とまで言っているんですよね。(英語ステートメントを翻訳した文章をいちばん下に付けます)
これを読むと無実の小山田氏が雑誌にいじめをでっちあげられ、悪意のあるネットに拡散された被害者としか読めないですよね。
小山田氏を強力に擁護している人ですらここまで言う人は見たことないのですけど、当の本人がここまでフェイクの情報を拡散して露骨に印象操作をするとは、、、
日本語を読めない海外の人はこれでイケると思ったんでしょうかね? もう悪質すぎて、言葉もありません。
追記1
「小山田氏の本意ではない記事を載せた雑誌担当者も悪い。出てきて説明しろ!謝れ!」という意見も良く目にするんですけど、いったい何をどうしたいのかよくわかりませんね。
雑誌関係者に道義的な責任はあるかもしれないですが、知らない雑誌の知らないおじさんたちがどういう人なのかに興味ないですし、糾弾したい方はどうぞご自由に、という感じです。
追記2
「孤立無援のブログ」の中の方は、北尾修一さんや何人かのライター/ブロガーからの「悪意を持って改ざんされた」という攻撃に対してガチ反論しているようですが、北尾修一さんたちからの再反論もなくそのままフェードアウトしているようですね。まあそうなりますよね。
追記3 2021年9月17日 小山田氏ステートメント英文全訳
いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明
2021年7月、学生時代に同級生をいじめていたと雑誌のインタビューで過去に発言したことが報道され、東京オリンピックの開会式のクリエイティブチームを辞任しました。オリンピックが終わった今、事実関係を明らかにしたいと思います。
報道のきっかけとなったのは、今から27年前(1994年と1995年)に、「ROCKIN’ ON JAPAN」(1994年1月号)と「QUICK JAPAN」(1995年8月号)という2つの雑誌で行ったインタビューで、私が小中学生の頃に経験した学校でのいじめについて語ったという内容のものでした。
大々的に報じられた『ROCKIN’ ON JAPAN』の見出しには、私が同級生に排泄物を食べさせたり、自慰行為をさせたりしたと書かれていました。私は同級生にそのような行為を強要したこともなければ、そのような提案をしたこともありません。
インタビューでは、私の幼少期や学校に通っていた頃の経験を話しました。
その中で、小学校の帰り道、同級生が道端に落ちていた犬の糞を「食べられる」と冗談で言って、拾って口に入れ、すぐに吐き出したという話がありました。その行為をした同級生を含め、そこにいた子どもたちはみんな笑っていました。
もう1つの話は、同級生に自慰行為を強要したというもので、これもやっていません。加害者は年上の上級生であり私たちに威圧感を与えていました。学生時代に自分の道徳的限界を超えた非道な暴力を目の当たりにし、そのような人たちと距離を置いて引き下がってしまったことを、そのインタビューで話しました。
インタビューではそのようなことを話したのですが、掲載された雑誌には「同級生に暴力を振るった」という誤解を招くような見出しがついていました。事前に『ROCKIN’ ON』の原稿を確認できなかったので、記事を見たのは発売後でした。事実無根の内容にショックを受けましたが、当時の私には訂正すべきだと気づくだけの成熟度がありませんでした。今にして思えば、『ROCKIN’ ON』に直接誤解を解くべきだったと反省しています。
『QUICK JAPAN』(1995年8月号)でいじめをテーマにしたインタビューを承諾したのは、誤報を正したいという気持ちがあったからです。いじめをテーマにした出版社の企画・意図は、現在の私の理解では、被害者や同じ立場の人の気持ちを考えない、倫理観のないものです。しかし、当時の私はそのようには思いませんでした。
この2つの雑誌が出版された後、あたかも私が陰惨な暴力行為の加害者であるかのように編集されたブログ記事が掲載されました。『QUICK JAPAN』のインタビューでは、暴力行為は私が行ったものではないと明確に述べられているにもかかわらず、この誤った情報は様々なフォーラムやソーシャルメディアで拡散し、現在ではほとんどの出版物の情報源として使用されています。
私は、両インタビューにおける私の話し方が下品で不適切であったことを十分に認識しています。このような恐ろしい出来事を持ち出し、いじめ被害者の個人的なトラウマを世間に晒すことで、いじめ被害者に与えた屈辱、痛み、苦しみを考慮しなかったことについて、関係者の方々に心よりお詫び申し上げます。
また、20年近くにわたってインターネット上に流布していた私に関する虚偽の情報について、説明や訂正のための適切な行動を取らなかったのは、私自身の責任であると考えています。その結果、同級生やそのご家族、同じ経験をされた方々に二次的なダメージを与えてしまったと考えており、本当に申し訳なく思っています。
私は、誇ることのできない過去の自分の行動と、記事の中で語ったことの両方を深く反省しております。この20年間、私はより広い視野で物事を考え、社会との関わり方や貢献の仕方を意識するようにしてきましたが、これからも人として、音楽家として、これまで以上に反省していきたいと思います。
追記4
更新情報 文中の「コメント」と書いた部分を「ステートメント」 に差し替え・修正しました。2021.09.24 10:00