(この投稿は雑談になりますので、特にカマシ・ワシントンのアルバムレビューのようなものを期待していた方はブラウザバックしてください)
カマシ・ワシントンの新作『Fearless Movement』がリリースされました
普段はアルバムについて書く時にweb情報などが少なく困るのですが、カマシは「現代ジャズサックスの最重要人物」「現代のジャズシーンをけん引するカリスマ」とも言われるだけあって、さまざまなメディアで新作について取り上げられていますね
カマシ・ワシントンといえば、その存在が世に認知されはじめたのが、2015年5月にリリースされた3枚組アルバム『The Epic』
(このアルバムは、彼がコラボし2015年3月にリリースされたケンドリック・ラマー『To Pimp a Butterfly』の2か月後にリリースされました)
2015年というともう10年近く前なので、ひと昔前のアルバムと言っても良いですね
音楽の世界なら、10年前は「ひと世代まえ」という印象です(これがスポーツなら2世代前くらいの印象になりますが)
このブログをはじめてからカマシは新作を出していないので、アルバムレビューは書いていないのですが、これまでカマシの名前は何度か引用されているのですよね
『The Epic』リリース時は、当時のジャズポリスたちが、「カマシなんてジャズじゃない」とか、「ソロフレーズがまるでスケール練習のようだ」とかなんとか批判したとかなんとか
古くはエレクトリックマイルスからウィントンまで、「物議」を醸す出来事はあったのでしょうが、2015年当時の記憶はわたしは全くないですし、それ以降の最近では似たような出来事もないですね
そういうのはリアルタイムで体感したかった気はします
今では(寿命や改宗によって)すっかり絶滅したジャズポリスたちも、2015年にはまだ少し生き残っていて、「ジャズであること」に価値を見出していたということかもしれません
彼ら/彼女らジャズポリスは、例えばいまでいうイマニュエル・ウィルキンス・カルテットのようなグループが世間にジャズとして認知され聴かれてほしいと主張していたんでしょうか
こう書くと「確かにそれは最高かも」とは思いますが
彼ら/彼女らジャズポリスが言ったように、カマシのサックスソロが退屈かというとそれはその通りだと思いますし、それは今作『Fearless Movement』でも変わらないように感じます
でもまあ管楽器の技量だけで音楽の質を判断するのも狭量な気もしますしね。
あのアルバム全体を覆うムード、特にコーラスの神々しい雰囲気が、ハマる人はハマるんだとは思うのですが
とはいえ別に当時のジャズポリスたちも、「ジャズとは何か」といった神学論争をしたかったわけじゃないとは思うのですけどね
フェスで演奏するカマシを観て熱狂する若者たちに、彼ら/彼女らなりの「No」を表明しただけじゃないかと
今回のアルバムを聴く前にweb記事などで『The Epic』当時のカマシ評をいくつか読んだのですが、なかなか興味深かったです
(正直カマシ・ワシントンのアルバムよりも興味深かったかも)
少し意外だったのは、Greg Tate, Ted Gioiaら普段ジャズについて多く論評を行っている批評家たちは、おおむねカマシのアルバムについて好意的だったことですね
じゃあ今回の『Fearless Movement』についてはというと、あまりこのアルバムについて言及している評論家やミュージシャンはかなり少ない気はします
彼ら/彼女らの中ではカマシ・ワシントンはすでにある程度の評価も定まった存在で、つまり彼の立ち位置についての話はすでに「語りつくされた話」ということなのかもしれません
まるで「葬送のフリーレン」みたいな”終わりの後の世界”といった雰囲気です
もしかすると話題はもっと最近の別のミュージシャンへと移っていったということかもしれません。
このブログにも書きましたが、今作にもゲスト参加しているアンドレ3000がフルート演奏する『New Blue Sun』をリリースした時は、アルバムの出来やフルートプレイに関してけっこうみんな話題にしていたのですけどね
他にも、最近ではアイスランド出身のシンガーであるレイヴェイ (Laufey) について「彼女の音楽はジャズなのか?」といった動画を観たりもしました
こういった動画を見ると、現在のレイヴェイの人気と彼女へのごくわずかなバックラッシュは、2015年のカマシに起こったことのもう少しわかりやすい形での再現と言えるかもしれません
現在のレイヴェイの音楽は、彼女のキャラクターやステージ外の行動を除いて純粋に音だけを聴けば、ジャズであることには間違いないと思います
(動画ではチェットベイカーが比較にあげられていましたが、レイヴェイがジャズじゃないならチェット・ベイカーだってジャズじゃない)
カマシ・ワシントンも同じ。スピリチュアルジャズがジャズならば、カマシの音楽もジャズに違いない、とも言えます
一方で、音楽のジャンルはプレイボタンを押して聴こえてくる音だけで判断されるわけじゃなくて、その音楽が社会・人々の中でどう受け止められ関わり合ってきたかによって決まるもの、という考えもあります
捉え方に濃淡こそあれ、ジャズというジャンルのイメージはリスナーで共有されているし、ジャズファンによるコミュニティもあるわけです
そういったミュージシャンとファンベースのコミュニティとのつながりが、音楽のジャンルを決定づける、とも言えるかもしれません
そう考えると、コーチェラでカマシに歓声をあげるファンも、TikTokの動画を観てライブに来たレイヴェイのファンも、従来のジャズファンのコミュニティとはまったく異なるわけで、その受け止められ方を見て「これはジャズじゃない」と言っているという面もあると思います
レイヴェイの存在がジャズシーン全体を盛り上げるかと言うと、おそらくそんなことはない訳で
従来のジャズファンは「私たちならこのクオリティの音楽を評価しない」と言いたかったんじゃないかと思うのですが、コミュニティが違えば音楽の評価軸も違いますからね
とまあ、今回の投稿をここまで書いていて思ったのは、その音楽がどんなジャンルかはミュージシャン本人が決めれば全てまるく収まるんじゃないか、ってことですね
はっきり言って外野が細かいことを気にしすぎているだけで
このブログで何度も取り上げた、2024年にピューリッツァー賞を受賞したドラマーのタイショーン・ソーリー(おめでとうございます!)は、自身の音楽をジャズではなく「即興音楽」と呼んでくれ、と言ったそうです
もしどこかのミュージシャンが、自身の音楽を「エモ・アンビエント」と呼びたいのであれば、そう呼べば良いんじゃないかと
「そんなジャンル聞いたことない」と思うかもしれないですが、だいたい分かるでしょ
カマシもレイヴェイも自分の音楽を「ジャズ」として聴いてほしいと思っているように見えるので、本人がそう思っているならそれで良いんじゃないかという気もしてきました
自分が思うアーティスト像と世間の受け止めが違うのも不幸ですね
ハリー・コニックJrだって、きっとシリアスなジャズピアニストとして聴かれたかったかもしれないし
ノラ・ジョーンズは、逆に本人もそこまでジャズを意識していなかったのにジャズシンガーとしてヒットしてしまった
ジョン・バティステ(バティストが正しい)はトップクラスの実力を持つジャズピアニストですが、自らジャズとは距離を取っているよう
ジェイコブ・コリアーはジャズというジャンルはおそらく眼中にないんだろうな