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BLMで変わりゆくジャズのプロテスト

2020年5月25日 ジョージ・フロイドさんがミネアポリスで警官による殺害された事件とそれを受けてのデモ運動が起こりました。Black Lives Matter、いわゆるBLMデモです。

SNS上にはの略である#BLMというハッシュタグであふれ、誰でもプロテスターとなり、かつてない盛り上がりを見せ、エキセントリックで攻撃的な言葉であふれかえりました。

ただそれから約3か月経ったいま、やっと「読むべき価値のある」記事が読めるようになってきたように思います。たとえばこれ

この記事は、ベーシストであるメルヴィン・ギブスがJazzTime誌に寄せた文章です。
ギブスは、ディファンクトやリヴィング・カラーなどのグループやBlack Rock Coalitionといった団体を通じて、政治的でメッセージ色の強い活動を行ってきたミュージシャンですね。

内容については記事をぜひ読んでほしいのですが、ジャズ系雑誌に寄稿した文章ということもあり、過去のジャズミュージシャンによるプロテスト・ソングを紹介してくれているので、ここではその紹介を。

デューク・エリントン『Black, Brown and Beige』 (1958)

1943年にカーネギーホールで初演された「アメリカ黒人の歴史」と題したミュージカル。ウィントン・マルサリスも演奏していて、「アメリカのプロテスト・ソングの中では唯一無二」というコメントもしていました。

チャールズ・ミンガス『Fables of Faubus』

1957年当時のアーカンソー州知事オーヴァル・フォーバスが、リトルロック・セントラル高校の融合教育化に反対して、州兵を学校に送って黒人学生の登校を阻止したことからはじまる一連の事件を受けて書かれた曲

マックス・ローチ『フリーダム・ナウ組曲』(1960)

奴隷解放宣言100周年を記念したプロジェクトとして生まれた作品。
エリントンの「ブラック、ブラウン、ベージュ」で暗示されていたことをより明確に表現にしている。アビー・リンカーンのヴォーカルは、ため息から悲鳴に至るまで、さまざまな感情を表現してこのアルバムを支えている

ジョン・コルトレーン『Alabama』(1963)

この曲は1963年にアラバマ州で起こった教会爆破事件を受けて書かれた曲。

ニーナ・シモン『ミシシッピ・ゴッドダム』

この曲は1962年に起きたミシシッピ大学への黒人男性入学をめぐる暴動と、学生を支援し続けたNAACP(全米黒人地位向上協会)の活動家、エドガー・エヴァースが白人至上主義者によって暗殺された事件を受けて書かれた。

などなど。記事中で取り上げられている他の曲も含めてプレイリストにしてみました。

GIbbsによると、80年代以降、ブラック・ロック・コーリション、パブリック・エナミー、スパイク・リー、リヴィング・カラーなどが黒人の創造的な自己決定に向けた運動を続けていたが、ジャズは(M-baseなど数少ない例外を除いて)ほとんど休眠状態にあり沈静化したが、最近になって
 ワダダ・レオ・スミス『10 Freedom Summers』(2012)
 アンブローズ・アキンムジール『Rollcall for Those Absent』(2014)
といったように聴くべき価値のある音楽が再び増えてきた、とのこと。

#BLMはなぜ失敗したのか

ここからはGibbsの記事を読んだ個人的な感想。
正直に言うと、5月末からはじまったBLMの運動には強い違和感を感じていましたし、反発さえしていたと思います。

それは店を破壊し車を燃やす暴徒や銅像を引きずり倒す群衆に対してもそうだし、そういった人たちをワケのわからない理由を付けて彼らを擁護するBLM支持者の姿でもありました。

そもそもジョージ・フロイドさんに対して警察官が行った振る舞いは非難されて当然ですし、彼の死は当然の報いだ、と言っている人はほぼいないはずです。
ただBLMという錦の御旗を使って自分の思う方向に動かそうとする人たちは単純に傲慢で横暴なのだと思います。

BLMのメッセージを発信している人を見ると、何年か前に新聞のコラムで読んだ小学校の先生のエピソードを思い出しました。
ある広島の小学校が戦争体験者の年配の方を呼んで、原爆による被害と体験を語ってもらう活動を行っていたところ、話の終盤にいきなりいまの政策と原発再稼働の反対を子どもたちに訴えはじめたために、先生があわててストップをかけた、と。
こういうのって言っている内容の是非はどうあれ分別のない行動だし、反発を受けて当然だと思いますよ。

別の例では、Black Lives Matterに対して「All Lives Matter(全ての命は重要)でしょ」と異論を唱える人たちを、「そんなことは言っていない」「そういうどうでも良いことを言ってBLM運動を妨害するのか!」とでも言わんばかりに激しく攻撃する人たちにも辟易しました。たとえばビリー・アイリッシュとかね。

たとえばホームページやツイッターアカウントに#BLMのタグをあげて連帯を示さない大企業に対して、「警官を擁護するつもりか!」と言わんばかりに非難する人すら現れました。

そもそも、警官に射殺される市民の数は、確かに白人に比べると黒人をはじめその他マイノリティの方が多いのですが、実際に犯罪で検挙される人数じたいが、黒人やその他マイノリティの方が多いわけです。

「別にアメリカの警官は黒人だけを不当に殺している訳じゃない。あいつらは”だれかれかまわず”殺している」という見方だって当然できたはずです。
ただ、そういう声は(BLMの主張に合わないということなのか)無視されてきた面もあったようです。
そういうかたくなな考えはまるで「やつらか俺たちか(them or us)」といった排除の理論そのものであり、黒人を「好ましからざるもの」として排斥してきた側のミラーリングでもあるのです。

似たような話で、新型コロナで一時中断したNBAが再開した後、国歌斉唱の際に膝をつくことを拒否したジョナサン・アイザックが、彼は別にBLMに異を唱えた訳ではなくむしろ賛成していたのに激しいバッシングを受けさえしました。

他にも(まだまだあるんです)、2020年はアメリカ大統領選があるということで、BLM運動はいつの段階からか明らかに民主党支持者がトランプ政権を攻撃するツールとして使われてきました。
まるで次の大統領選の民主党の勝利がBLM運動のゴールでもあるかのように。
かつてNFLのスター選手、コリン・キャパニックが警官の横暴に抗議して国家斉唱の際に片膝をついた時、大統領だったオバマは「彼の気持ちは理解できる」と同情を寄せつつもけっきょくほぼ何もやらなかったことは、まるで忘れてしまっているかのようです。

冷静な議論、あきらめない心

まあとにかく、BLM運動とその支持者については個人的にはネガティブな面ばかり目についていたわけです。
ただ8月近くになって(まるでブームが去った後のアイスバケツチャレンジのように)すっかりメディアの露出が減ったいま、Melvin Gibbsやその他何人かの文章を読むとわたしの印象も少し変わってきました。

つまり、今回のようなショッキングな出来事で世論が盛り上がり、やがてフェスの後のように忘れ去られていくことも、ふだん黒人の権利向上など見向きもしていなかった人たちからの(なんならブラックコミュニティ内からの)異論や足のひっぱりあいが起こることも、これまでも何度も繰り返されてきた事なのだということ。
そしてBLMにネガティブな面はあれども(3歩進んで2歩下がるのように)ブラック・コミュニティにとっては確かな前進であること。
さらにはBLMの盛り上がりをふだんの草の根的な運動につなげていく必要があり、「これから」が大事なのだということ。

最近になって、そういう冷静な議論が読めるようになったのはうれしいことです。(他の例でいうとNBAのかつてのスーパースターであるかリーム・アブドゥル・ジャバーがBLMに関してコメントしている良記事を読みました。他にもアンジェラ・ディビスとか。機会があったら紹介したいです)
彼ら・彼女らから発信される冷静な議論と運動をあきらめない強い意志にこちらも勇気づけられますし、これはシェアせずにはいられないな、と思うんですよね。