サンプリングミュージックのパイオニア、カール・ストーン先生の新作アルバム『Stolen Car』がリリースされていました。(リンクはブログの最後に)
彼は現在は日本に住んでおり、浅田真央選手などスポーツでも有名な中京大学でメディア工学の教鞭をとる教授でもあります。
このアルバムですが、チェックが甘くてリリースに気づかず完全にスルーしていました。
彼のことはファンとも言えるくらいだし、去年2019年にリリースされたアルバム『Baroo』は年間ベストに選んだくらいなのに、、
いや、怠慢ですねー。
カール・ストーン氏といえば、『Mom’s』や『Kamiya Bar』など、アンビエント/エレクトロニカ/コラージュ的な作品群で評価の高かったミュージシャン。
MAX/MSPなどのコンピューターベースのソフトウェアを使ってDSP処理を駆使した、当時まだ革新的だった手法のパイオニア的存在。
彼自身もモートン・サボトニックやジェイムズ・テニーに師事しており、マイナージャンルとも言えるクラシック寄りな電子音楽の世界にいた人ですね。
すでにレジェンド級の存在だと思いますし、電子音楽の歴史を語るうえで必ず名前のあがる人だと思いますが、ただ一般的な人気でいうとどうなのですかね?
前作『Baroo』もあまり話題になった気もしませんし、『Carl Stone』という検索ワードでググってみるとこのブログの記事が1ページ目にヒットするくらいなので、今となってはあまり音楽ファンの話題にあがることも少ない存在なのかも。
ただストーン氏の現在の活動をみてみると、彼の長いキャリアの中でも注目されるべき時期なのだと思いますね。
近年になって
『Electronic Music From The Seventies And Eighties』(2016)
『Electronic Music From The Eighties And Nineties』(2018)
という、これまでの活動の総括的なアルバムを節目に、堰を切ったように意欲的な作品を多くリリースしています。
対をなす2枚の傑作ソロアルバム『Baroo』『Himaraya』(2019)、インスタレーションアーティスト、ミキ・ユイとのプロジェクトであるRealistic Monkによる『Realm』(2018)、エリオット・シャープとのライブ盤『Synkretika』(2020)といった具合です。
個人的には、昨年の『Baroo』『Himaraya』、そして今年の『Stolen Car』といった一連のソロ作品はここ数年の作品は彼のキャリアのピークと呼ぶべき仕事だと思いますよ。
コラージュ/プランダーフォニックス
近年のストーンはプランダーフォニックス的な手法で曲を作ることも多く、ポップミュージックを素材にした曲も多いです。
パッと調べられる最近の例でいうと、以下のようなサンプリング例があり。
“Panchita” (2019) / “Moments” by Ayumi Hamasaki(2004)
“flint’s”(2007) / “Barbie Girl” by Aqua (1997)
“Shibucho” (2016) / “ABC” by The Jackson 5 (1970)
“Shing Kee” (1989) / “Der Lindenbaum” by Akiko Yano (1986)
浜崎あゆみ(!)やAQUAなど、おそらくストーン氏がリスペクトを持って取り上げた訳じゃない音源が使われているのも興味深いところですね。
そんな中でも、この『Stolen Car』というアルバムは、最近のアルバムの中でも最もコラージュ/プランダーフォニックス色の強いアルバムなんじゃないかと思いますね。
このアルバムの取り上げられているポピュラー音楽では、「Auburn」「The Jugged Hare」という2曲がMitskiの「Strawberry Blond」を異なる形でサンプリングしていますね。
このMitskiの曲はわかりやすい例で、オリジナルが判別できないサンプリングも含めると膨大になりますね。誰かサンプリング元一覧を作ってくれないかなー。
プランダーフォニックス的な曲はカットアップした後に曲がどう聴こえるかは、実際に作っている本人にも最後までわからないはず。
ジョン・オズワルドらが活動していた90年代から比べると、アクセスできるマテリアルの量から処理スピードまで圧倒的に進化しているので、納得いくまでトライアンドエラーを繰り返すことができるのだと思いますが、『Stolen Car』でも「こんな音源どこから持ってきたんた?」「こんな風に加工しちゃうんだ」という感じの意外性あふれるアレンジが満載ですね。
聴いていてこんなに楽しくなるアルバムは久しぶりです。
サンプリング音楽の終焉(と復活)
ジョン・オズワルドが作った音源と、マイケル・ジャクソンとの裁判とレコード回収騒動や、ヒップホップのサンプリングに関する著作権とオリジナリティの長い議論は、基本的には権利者側(サンプリグされる側)に有利な決着となったと思います。
著作権の定義があいまいだったヒップホップ黎明期みたいなあからさまなサンプリングは、今ではもう許されなくなっています。
そのため、アヴァランチーズやDJシャドウのように音源を細かい断片にすることでひとつひとつの音源を「薄めて」使う人などなど不自然な使い方を余儀なくされたこともあり、どんどんサンプリング音楽じたいは下火になっていったとも言えると思います。ジョン・オズワルドのように早々と制作じたいを止めてしまいましたし。
メジャーなアーティストになると高いレベルのトラックを自分で作らせることもでき、わざわざ権利関係の面倒なサンプリングを行う理由もないという事情もあるでしょう(カニエ・ウェストなど例外もいますけど)
このようなサンプリングをめぐる状況の中で、明らかに原曲に近い形のまま使われているストーン氏のようなサンプリングの使い方はかなりレア。
まるで著作権という縛りから解き放たれた(ジョン・オズワルドの時代のような)かつてのコラージュ/プランダーフォニックスの最良の時代が甦ったようでもあります。
こういった思い切ったサンプリングが行えるのも、ストリーミング時代になったことが大きいのかも。
誰でも好きな曲をほぼ無料で聴くことができる今となっては、サンプリングされる音源じたいもまた無価値になってしまっている、ということなのでしょう。
(ストーン氏がサンプリングした曲ののライセンスをどう扱っているかはわからないですが)
追記
アルバムタイトル『Stolen Car』はCarl Stoneの文字の入れ替え(アナグラム)で付けられたそうです。
ストーン氏は曲のタイトルに意味不明なアルファベットの羅列を付けることも多く、これもアナグラムなのだそうです。
ミキ・ユイさんとのプロジェクト Realistic Monkもそうですね(Carl Stone+Miki)
もうひとつのタイトル名のパターンは、ストーン氏自身のお気に入りだった(多くはアジア系の)飲食店の名前ですね。『Mom’s』もそうだし、『Baroo』もこのパターンだそうです。