声のアート 〜ワールドミュージック編〜

楽器を使わず「ヴォーカルのみ」で演奏される音楽について

前回は現代音楽のカテゴリでおすすめアルバムを選んでみましたが、今回はワールドミュージック編です。

Choir/クワイア

Rustavi Choir  『Gergian Voices』


このノンサッチ盤は民族音楽アルバムでは定番中の定番ですね。

東ヨーロッパには伝統的な合唱の文化があって、ブルガリアン・ポリフォニーについては前に投稿しました(こちら

ブルガリアの女性合唱に対しグルジアの合唱は男性のみで、男性による豊かな倍音が魅力ですね。

Rustavi Choirはグルジアの作曲家のAnzor Erkomaishviliさんが設立した、ブルガリアで最高のクワイアのひとつと言われ、何度も来日もしているので知っている人も多いはず。
Anzorさんの来日時の様子を動画で見たことがありますけど、ライブ後の観客とニコニコと話したりいっしょに写真を取ったりして、フレンドリーなおじいさんという感じでした。

グルジアには「テーブル・ソング」というカテゴリがあるようですが、これは夕食というか宴会で歌われる歌から進化していったジャンルのよう。
地方では、伝統的な歌はこういう生活に根差した場面で伝えられるのですが、たいていは酔っぱらってヘロヘロで歌われて音楽的にも洗練されていないので、Rustavi Choirのような楽団によって(時には国からの補助ももらいつつ)進化していくわけです。

ここにのせた曲は『KHASANBEGURA』というタイトルで、ストラヴィンスキーが「人類の作った最高の音楽」と絶賛した曲です。
合唱というより、東欧のスケールのメロディーラインがいくつも折り重なる複雑な曲です。その中で際立つ甲高いメロディーラインのソロが印象的です(動画の右から2番めの歌手)
ブルガリアン・ポリフォニーのように伸びやかな美声ではないのですけどね(普通に聴けば”ヘンな”声ですし)

Ladysmith Black Mambazo

ポール・サイモンの『Graceland』で世界的に注目を浴びた、南アフリカのコーラスグループ。
いわゆるアフリカ的な(ライオン・キングのサントラ的な)な音が聴けますね。

彼らは南アフリカを代表するバンドであり、マンデラ大統領の就任式でパフォーマンスも行ったそう。
4度のグラミー賞受賞もあり、ワールドミュージックのカテゴリでは最も商業的に成功したグループと言って良いと思います。

創立メンバーであるジョセフ・シャバララと、その親族など近しい人たちによってメンバーは構成されています。もう設立から40年以上たっている訳今では彼の子供たちが参加するなどメンバーを変えながら40年以上も演奏活動を続けています。

ソロ・ヴォーカル

民族音楽では、卓越した楽器演奏みたいなものはあまりお呼びじゃなく、ヴォーカルメインの音楽なのは確かです。
全くの無伴奏というスタイルはさすがに少ないと思うのですが、例えば韓国のパンソリや日本の沖縄民謡など、シンプルな最低限の伴奏で演奏される例は多いです。もし伴奏がなくても成り立ってしまうくらいですね。

Karan Casey  『Songlines』

Karan Caseyは、アイリッシュ・トラッドバンドSolasのヴォーカリストで、これは彼女のソロ・アルバムになります。
アイリッシュ音楽にはシャーン・ノスと呼ばれるヴォーカルのスタイルがあり、完全に無伴奏で歌われます。
ゲール語のエキゾチックな響きも魅力だし、アイリッシュ音楽特有のメランコリックな曲調も彼女のはかなげなヴォーカルに良く合っています。

このアルバムで無伴奏で歌われるのはこの曲のみで、他の曲はいわゆるアイリッシュトラッドではあります。
Solasも彼女のソロも、スピーディーでテクニカルなアレンジで、(当時でいう)新しめの感覚を持ったミュージシャンでしたけど、この曲は彼女なりの伝統音楽へのオマージュということなのでしょうね。

Konnakol

Konnakolは南インドの伝統音楽で使われる言葉で、パーカッションを叩くのではなく使われるリズムに「タ」「カ」「ディ」など音をあてて口でリズムを刻んでいくことを言います。リズムの組み立てルールみたいな意味もあるようです。
もともとはパーカッションの練習からはじまったスタイルだと思いますが、今ではヴォーカルによるアートとして認知されています。
Konnakolについてのwikiにはジョン・マクラフリンのことも書かれていますが、彼のライブで指でカウントしているのはKonnakolのリズムを取っているところですね。

1拍を3,4,5,6,7…と細かく分割していく複雑なリズムはこの動画をみても ちょっと何をやっているのか良くわかりませんね。。いわゆるスクエアなリズムに慣れているとリズムが徐々に外れていく錯覚になりますね。
複雑なテーマを演奏しながら最後にはバシっと拍割りが合って終わるところは、(悪い意味ではなく)スポーツ的な側面のあるアートなのかも。